原因のほとんどは財政事情だが、政治や世界情勢によるものも…
財政難が消滅の原因ということであれば、当然ながらクラブが中小規模のものが多いが、なかには46-47シーズンにフランスのリーグアンを制したルベー=トゥールコアン(70年に解散)という古豪も含まれている。
また、メキシコのアトレティコ・エスパニョール(71-82)、マンチェスター第3のクラブとして生まれたマンチェスター・セントラル(28-32)、バルセロナのFCエスパーニャ(05-31)、マドリードのCDナシオナル(24-39)、そして初期のウルグアイリーグの強豪クラブだったリーベル・プレート(1897-29)のような、それなりの力を有しながらも極めて短命に終わったクラブも存在する。
経営破綻は原因は様々である。そもそも財政基盤が弱く、それが限界を迎えたケースもあれば、元々は優良クラブでありながら、無茶な戦力補強やその他の無計画な投資によって自ら財政を圧迫してしまったケースなど……。
また特殊な例として、80年代後半から90年初頭の東欧の民主化において、官製クラブはもちろん、共産主義の下で利益を追求する必要のなかったクラブが、自由社会でのクラブ運営の術を知らないまま西欧のクラブとの熾烈な競争のなかに放り込まれて、かつての繁栄もむなしくみるみるうちに弱体化していった。
実際、旧東ドイツのクラブは現在、ブンデスリーガにおいてほとんどが2部リーグ以下に属しているし、86-87シーズンには欧州3大カップのひとつ、カップウィナーズ・カップの決勝にまで進出した強豪ロコモティフ・ライプツィヒ(マルコ・ファン・バステン擁するアヤックスに敗戦)も、ドイツ統一後は弱体し続け、2004年に破産で消滅してしまった(現在は再建されてアマチュアとして存在)。
経営の不手際ということでは、当然ながらプロサッカー黎明期にはどこも試行錯誤を繰り返すなかで失敗して姿を消すクラブが少なくなく、1930年代にはサッカー王国ブラジルで多くのクラブがその存在を消している。
一方、クラブ自体が原因ではないケースとしては、何より国際情勢によるものが多い。東欧では第2次世界大戦前、各国に魅力的なクラブがいくつも存在したが、共産政権の樹立後、全てを統制する国家の都合で他のクラブとの合併が行なわれた。ルーマニアの初期の強豪、ビーナス・ブカレストもそれで消滅したクラブのひとつだ。
戦争がクラブの存続を妨げたケースも多々ある。スロベニアのSKリュブリャナは大戦の混乱期のなかで自然消滅し、戦後も復活することはなかった。アジアでは、朝鮮のFCピョンヤンや、日本占領時の35年に天皇杯で優勝を飾ったFCギョンソン(全京城蹴球団)が、50年の朝鮮戦争勃発によって活動を停止し、そのままクラブの歴史を終えることとなった。
最後に、クラブの財政難どころか、リーグそのものが立ち行かなくなり、結果的にクラブも消滅したという究極のケースが、67年から84年に存在したアメリカのNASL(北米リーグ)である。
ペレ、フランツ・ベッケンバウアー、ジョージ・ベスト、ヨハン・クライフといった世界のスーパースターを多く集め、また独自のルールを採用するなど、様々な趣向をこらしたものの、徐々にファンの関心は薄れ、ついにはリーグそのものが消滅することとなった。
NASL崩壊から30年後、再びアメリカでチーバスUSA解散という大きなニュースが流れたわけだが、サッカーを取り巻く環境は30年前とは全く違う。サッカーはアメリカでも人気スポーツのひとつとなり、MLSは堅実な運営を続けている。ただ、それでも経営方法を誤ってファンの支持を得られなければ、クラブは看板を下ろさざるをえない。
いつ時代にも、どのような状況においても、クラブを存続させるのは決して簡単なことではないのである。そして、今も世界中のあらゆるところで、解散や消滅の危機に瀕しているクラブがいくつも存在している。
また、メキシコのアトレティコ・エスパニョール(71-82)、マンチェスター第3のクラブとして生まれたマンチェスター・セントラル(28-32)、バルセロナのFCエスパーニャ(05-31)、マドリードのCDナシオナル(24-39)、そして初期のウルグアイリーグの強豪クラブだったリーベル・プレート(1897-29)のような、それなりの力を有しながらも極めて短命に終わったクラブも存在する。
経営破綻は原因は様々である。そもそも財政基盤が弱く、それが限界を迎えたケースもあれば、元々は優良クラブでありながら、無茶な戦力補強やその他の無計画な投資によって自ら財政を圧迫してしまったケースなど……。
また特殊な例として、80年代後半から90年初頭の東欧の民主化において、官製クラブはもちろん、共産主義の下で利益を追求する必要のなかったクラブが、自由社会でのクラブ運営の術を知らないまま西欧のクラブとの熾烈な競争のなかに放り込まれて、かつての繁栄もむなしくみるみるうちに弱体化していった。
実際、旧東ドイツのクラブは現在、ブンデスリーガにおいてほとんどが2部リーグ以下に属しているし、86-87シーズンには欧州3大カップのひとつ、カップウィナーズ・カップの決勝にまで進出した強豪ロコモティフ・ライプツィヒ(マルコ・ファン・バステン擁するアヤックスに敗戦)も、ドイツ統一後は弱体し続け、2004年に破産で消滅してしまった(現在は再建されてアマチュアとして存在)。
経営の不手際ということでは、当然ながらプロサッカー黎明期にはどこも試行錯誤を繰り返すなかで失敗して姿を消すクラブが少なくなく、1930年代にはサッカー王国ブラジルで多くのクラブがその存在を消している。
一方、クラブ自体が原因ではないケースとしては、何より国際情勢によるものが多い。東欧では第2次世界大戦前、各国に魅力的なクラブがいくつも存在したが、共産政権の樹立後、全てを統制する国家の都合で他のクラブとの合併が行なわれた。ルーマニアの初期の強豪、ビーナス・ブカレストもそれで消滅したクラブのひとつだ。
戦争がクラブの存続を妨げたケースも多々ある。スロベニアのSKリュブリャナは大戦の混乱期のなかで自然消滅し、戦後も復活することはなかった。アジアでは、朝鮮のFCピョンヤンや、日本占領時の35年に天皇杯で優勝を飾ったFCギョンソン(全京城蹴球団)が、50年の朝鮮戦争勃発によって活動を停止し、そのままクラブの歴史を終えることとなった。
最後に、クラブの財政難どころか、リーグそのものが立ち行かなくなり、結果的にクラブも消滅したという究極のケースが、67年から84年に存在したアメリカのNASL(北米リーグ)である。
ペレ、フランツ・ベッケンバウアー、ジョージ・ベスト、ヨハン・クライフといった世界のスーパースターを多く集め、また独自のルールを採用するなど、様々な趣向をこらしたものの、徐々にファンの関心は薄れ、ついにはリーグそのものが消滅することとなった。
NASL崩壊から30年後、再びアメリカでチーバスUSA解散という大きなニュースが流れたわけだが、サッカーを取り巻く環境は30年前とは全く違う。サッカーはアメリカでも人気スポーツのひとつとなり、MLSは堅実な運営を続けている。ただ、それでも経営方法を誤ってファンの支持を得られなければ、クラブは看板を下ろさざるをえない。
いつ時代にも、どのような状況においても、クラブを存続させるのは決して簡単なことではないのである。そして、今も世界中のあらゆるところで、解散や消滅の危機に瀕しているクラブがいくつも存在している。