中学時代のライバルが活躍する姿が悔しくて
元々、中学時代に所属した東松山ペレーニアFCでは、背番号10をつけていたというポテンシャルの持ち主だ。自己改善と懸命な努力が、結果に結びつくのに時間はかからなかった。昨夏のインターハイの頃には、トップチームのレギュラーの座を射止めていた。
全国の舞台はおろかトップチームからも遠のいた時期についてバスケスは、「本当にどん底にいたんで……」と声を震わせる。ゆえに、ようやく掴んだ人生初にして最後の選手権への想いは人並み以上だった。
バスケスには、もうひとつ、発奮する理由があった。
全国の舞台はおろかトップチームからも遠のいた時期についてバスケスは、「本当にどん底にいたんで……」と声を震わせる。ゆえに、ようやく掴んだ人生初にして最後の選手権への想いは人並み以上だった。
バスケスには、もうひとつ、発奮する理由があった。
自身がくすぶっていた去年の選手権。その決勝のピッチに中学時代のチームメイトでもあった榎本樹が、前橋育英の主力として立ち、劇的な決勝ゴールを決めていたのだ。
かつて共に切磋琢磨した仲間が輝く姿に「中学の時は俺が10番でずっとエースだった。あいつが点を決めて感動もしたけど悔しかった。自分は何もできていない」と刺激を受けていたのである。
そんな“ライバル”への想いも胸に秘めて立った夢の選手権で、磨きをかけてきたドリブルを炸裂させたバスケスは、「正直、3点目が入ったところでウルっときてた」と、見事に掴んだ日本一への率直な心境を明かした。
「本当に山田を辞めようと思った時期もあったんですけど、逃げないで、自分と向き合った勇気と努力が日本一に繋がったなと思う。自分は寝坊とかも多くて、迷惑をたくさんかけた。3年目になって人間性の大事さに気付けてよかった」
卒業後、東北社会人リーグ1部のいわきFCでプレーすることが内定しているバスケス。その先の夢は、「チリ代表になること」と実に壮大だ。だがしかし、青森山田でどん底から這い上がってきた男の言葉には、それすらも本当にやってのけてしまいそうな説得力があった。
取材・文●羽澄凜太郎(サッカーダイジェストWeb編集部)