アギーレ体制では多くの選手が代表に呼ばれることになりそうだ。
結果を出している国内組が無視され、結果を出していない海外組が重宝される。
こうした歪んだ選考の被害者は、国内組だけとは言い切れない。
かつてアルゼンチンのボカに所属していた高原直泰は、事あるたびにトルシエ監督に招集され、そのたびに飛行機で24時間以上かけてアルゼンチンと日本を行き来していた。
まだボカで結果を出していない選手が、代表に呼ばれるたびにコンディションを崩してしまう。これではボカとしても使いようがない。当時のボカの監督、ビアンチは旧知の仲でもあるトルシエに「これでは彼のためにならないよ」と忠告していたという。
ヨーロッパや南米の選手は、代表に呼ばれて丁重に断るときがある。特に移籍直後は新しい環境に適応して、立場を確固たるものにしなければならないからだ。これは病気で授業を休んでいる間に、クラスメイトに後れを取ってしまうのと似ている。
結果を出していない、言葉もほとんど話せない、そんな選手が事あるたびに国に帰っていたら、同僚もいい顔をしないだろう。
だから香川が外れた今回の選考は、好意的に捉えれば「ちゃんと試合に出ていないと呼びませんよ」、さらには「スポンサーやテレビ局の言いなりにはなりませんよ」というメッセージとも受け止められる(本田も呼ばなかったら、そのメッセージはさらに強いものになったと思う)。
今回の選考を通じてアギーレは香川に、「マンUで全力を尽くしなさい」、もしくは「出られるところに移籍しなさい」と諭しているのかもしれない。
香川を呼ばなかったことのほかに評価できることは、武藤嘉紀、皆川佑介といった、まさしくいまが旬の若手を選んだことだ。
これは「調子がよければ、いつでも呼びますよ」というメッセージ。言い換えれば「調子が悪くなったら、すぐに別の選手に代えますよ」ということでもある。
メンバーが固定化していたザッケローニ時代とは違い、アギーレ体制では多くの選手が代表に呼ばれることになりそうだ。
たくさんの選手が代表に呼ばれる。
これは日本サッカー界の底上げにとって、とてもいいことだと思う。というのも、肩書きは周りの人の評価を変え、自身の意識を高めることになるからだ。「第2の長友佑都」が出てくるかもしれない。
文:熊崎敬
こうした歪んだ選考の被害者は、国内組だけとは言い切れない。
かつてアルゼンチンのボカに所属していた高原直泰は、事あるたびにトルシエ監督に招集され、そのたびに飛行機で24時間以上かけてアルゼンチンと日本を行き来していた。
まだボカで結果を出していない選手が、代表に呼ばれるたびにコンディションを崩してしまう。これではボカとしても使いようがない。当時のボカの監督、ビアンチは旧知の仲でもあるトルシエに「これでは彼のためにならないよ」と忠告していたという。
ヨーロッパや南米の選手は、代表に呼ばれて丁重に断るときがある。特に移籍直後は新しい環境に適応して、立場を確固たるものにしなければならないからだ。これは病気で授業を休んでいる間に、クラスメイトに後れを取ってしまうのと似ている。
結果を出していない、言葉もほとんど話せない、そんな選手が事あるたびに国に帰っていたら、同僚もいい顔をしないだろう。
だから香川が外れた今回の選考は、好意的に捉えれば「ちゃんと試合に出ていないと呼びませんよ」、さらには「スポンサーやテレビ局の言いなりにはなりませんよ」というメッセージとも受け止められる(本田も呼ばなかったら、そのメッセージはさらに強いものになったと思う)。
今回の選考を通じてアギーレは香川に、「マンUで全力を尽くしなさい」、もしくは「出られるところに移籍しなさい」と諭しているのかもしれない。
香川を呼ばなかったことのほかに評価できることは、武藤嘉紀、皆川佑介といった、まさしくいまが旬の若手を選んだことだ。
これは「調子がよければ、いつでも呼びますよ」というメッセージ。言い換えれば「調子が悪くなったら、すぐに別の選手に代えますよ」ということでもある。
メンバーが固定化していたザッケローニ時代とは違い、アギーレ体制では多くの選手が代表に呼ばれることになりそうだ。
たくさんの選手が代表に呼ばれる。
これは日本サッカー界の底上げにとって、とてもいいことだと思う。というのも、肩書きは周りの人の評価を変え、自身の意識を高めることになるからだ。「第2の長友佑都」が出てくるかもしれない。
文:熊崎敬