初招集はひとりもいなかったジーコのリスト。
ワールドカップで集大成を迎えた前体制の遺産をいかに引き継ぎ、自らの色を出していくのか。初陣に向けて発表されるメンバーリストには、各指揮官のチーム作りに対する考えが色濃く反映されているように見える。
日本代表が初めて世界最高峰の舞台を踏んだ直後の98年10月、トルシエ監督が選んだメンバーは全22選手中17名がワールドカップ経験者という顔ぶれだった。もっとも、これは00年のシドニー五輪出場を目指すU-21代表が、98年12月にアジア大会を控えており、兼任監督を務めるトルシエ監督が欧州組の中田英寿以外は22歳以上に限定して招集したためだ。このチームがベースとなり、翌年の夏にコパ・アメリカに参加するも惨敗。シドニー五輪世代(77年から80年生まれの選手)の台頭もあり、その後、世代交代が急速に進められていくことになる。
ベスト16入りを果たした02年日韓ワールドカップ後に発足したジーコ体制は、世論の圧倒的な支持を受けて華々しい船出を飾った。トルシエ流の管理サッカーからの脱却、誰もが胸を躍らせた中田英、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一が描く「黄金の中盤」。ジャマイカ戦のリストにA代表初招集の選手はひとりも入らず、日韓大会ですでに幅を利かせていたシドニー五輪世代を中心とした強化は、その後4年間、推し進められていくことになる。
日本代表が初めて世界最高峰の舞台を踏んだ直後の98年10月、トルシエ監督が選んだメンバーは全22選手中17名がワールドカップ経験者という顔ぶれだった。もっとも、これは00年のシドニー五輪出場を目指すU-21代表が、98年12月にアジア大会を控えており、兼任監督を務めるトルシエ監督が欧州組の中田英寿以外は22歳以上に限定して招集したためだ。このチームがベースとなり、翌年の夏にコパ・アメリカに参加するも惨敗。シドニー五輪世代(77年から80年生まれの選手)の台頭もあり、その後、世代交代が急速に進められていくことになる。
ベスト16入りを果たした02年日韓ワールドカップ後に発足したジーコ体制は、世論の圧倒的な支持を受けて華々しい船出を飾った。トルシエ流の管理サッカーからの脱却、誰もが胸を躍らせた中田英、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一が描く「黄金の中盤」。ジャマイカ戦のリストにA代表初招集の選手はひとりも入らず、日韓大会ですでに幅を利かせていたシドニー五輪世代を中心とした強化は、その後4年間、推し進められていくことになる。