日本で最も共感を呼ぶ理想を追求する、吉武監督へのアンチテーゼにも映る。
根底にあるのは、弱者の論理だ。かつてメキシコは、北中米内での内弁慶的性格が染みつき、欧州や南米への劣等感が根強かった。そこで自大陸の枠を超えて、いかに強豪国に立ち向かうか知恵を絞った。アギーレにとって、それはスペインでの監督経験も同じだった。オサスナ、サラゴサ、エスパニョール……、指揮を執って来たクラブの戦力を考えれば、優勝戦線より残留争いの方が身近だった。それでもバルセロナやレアル・マドリーなど、世界屈指の金満クラブに立ち向かわなければならない。そのためには、しっかりと守備を固め、勢い込んで攻めに出て来る相手の背後を突くのが最も効率的だった。
格上を倒すには、11人が100パーセントの献身を継続する必要がある。また「自分たちのスタイルを貫く」などと理想にこだわるわけにもいかない。むしろ相手を分析し尽くし、意表を突く。「賢く戦う」というのは、相手の狙いを外し、かく乱することを意味する。今までザッケローニ体制下では「90分間の継続性」が強調され、それだけにシナリオが狂うと修正が利かなかった。
だがアギーレ監督は、主体的なスタイルの継続ではなく、相手を「主」として考え、適時最も嫌がる方法を採る。ザッケローニ監督は「時間が足りない」と、3-4-3の実験を諦めてしまったが、アギーレ監督がさらに多くのバリエーションを加えていくことができるのか、注目される。大筋でザッケローニ路線は、180度転換されることになる。ただしもしアギーレ体制で、多彩な戦術を機能させられるなら、それも別の意味で日本の良さを活かしたサッカーとも言えるかもしれない。
岡田武史元監督は、理想を追い求めながら、ワールドカップ本番直前で現実と向き合った。しかしアギーレ監督は、最初から現実を見据えて勝つ確率を高めようと知恵を絞る。例えば、現在日本サッカー界では、U-16代表を率いる吉武博文監督が、おそらく最も多くの共感を呼ぶ理想を追い求めている。華麗なポゼッションで魅了する吉武ジャパンは、大半が小柄で俊敏な選手たちで占められる。しかし今回のアギーレ監督の人選を見る限り、それだけでは戦えない、とアンチテーゼを示そうとしているようにも映る。
今までの日本は、決定力を上げるためにも、ボールを長く保持しチャンスを増やす術を考えて来た。だが新監督は、相手にゴールを割らせないことから逆算してチーム作りを進めていく。最終ラインは攻撃よりハイボールを撥ね返す能力を重視し、軽量ばかりだった前線にも186センチ、84キロの皆川が加わった。
スペクタクルより、リスクの軽減が意識されたラインナップ。勝率は高まるかもしれない。ただしそれが日本にとって最適の道だという保証はない。
文:加部 究(スポーツライター)
格上を倒すには、11人が100パーセントの献身を継続する必要がある。また「自分たちのスタイルを貫く」などと理想にこだわるわけにもいかない。むしろ相手を分析し尽くし、意表を突く。「賢く戦う」というのは、相手の狙いを外し、かく乱することを意味する。今までザッケローニ体制下では「90分間の継続性」が強調され、それだけにシナリオが狂うと修正が利かなかった。
だがアギーレ監督は、主体的なスタイルの継続ではなく、相手を「主」として考え、適時最も嫌がる方法を採る。ザッケローニ監督は「時間が足りない」と、3-4-3の実験を諦めてしまったが、アギーレ監督がさらに多くのバリエーションを加えていくことができるのか、注目される。大筋でザッケローニ路線は、180度転換されることになる。ただしもしアギーレ体制で、多彩な戦術を機能させられるなら、それも別の意味で日本の良さを活かしたサッカーとも言えるかもしれない。
岡田武史元監督は、理想を追い求めながら、ワールドカップ本番直前で現実と向き合った。しかしアギーレ監督は、最初から現実を見据えて勝つ確率を高めようと知恵を絞る。例えば、現在日本サッカー界では、U-16代表を率いる吉武博文監督が、おそらく最も多くの共感を呼ぶ理想を追い求めている。華麗なポゼッションで魅了する吉武ジャパンは、大半が小柄で俊敏な選手たちで占められる。しかし今回のアギーレ監督の人選を見る限り、それだけでは戦えない、とアンチテーゼを示そうとしているようにも映る。
今までの日本は、決定力を上げるためにも、ボールを長く保持しチャンスを増やす術を考えて来た。だが新監督は、相手にゴールを割らせないことから逆算してチーム作りを進めていく。最終ラインは攻撃よりハイボールを撥ね返す能力を重視し、軽量ばかりだった前線にも186センチ、84キロの皆川が加わった。
スペクタクルより、リスクの軽減が意識されたラインナップ。勝率は高まるかもしれない。ただしそれが日本にとって最適の道だという保証はない。
文:加部 究(スポーツライター)