自分のクラブに現れた「とんでもない」練習生
ジュニアユースとユースの6年間をともに過ごしてきた西澤と北川だが、最初の出会いは「小学校3、4年の頃」だと西澤は振り返る。
「小学校は一緒のチームではなかったんです。たまたま僕の小学校のクラブにあいつが練習に来て。前のチームを辞めて、他のところを探していたみたいなんですよ。そこで練習に来たのですが『とんでもない奴がいるな』と思いました」
結果的に西澤のチームに北川が入ることはなかったのだが、その後は選抜チームで一緒になり、ともに海外遠征にも行ったと振り返る。そしてふたりとも清水のジュニアユースへの入団が決まり、晴れて正式なチームメイトとなった。
ジュニアユースからユースにかけては西澤がサイドバックやサイドハーフなど様々なポジションでプレーをしてきたなか、北川は常に最前線で活躍をしてきたという。トップ昇格後の活躍はここであえて記す必要はないだろう。その姿は西澤に対する強烈な刺激になった。
「凄いですね。あいつは本当に凄い。たまに連絡を取っているんですけど、清水ですごく大きなものを背負っていますし、言葉の端々から責任感を感じる。早く自分もそういう舞台に立ちたいなと思いながら、刺激をもらいながらやっています。(北川は)自分へのプレッシャーも相当あると思うんですけど、それを力に変えていると思う。そういう部分は自分も見習わなければなと」
「小学校は一緒のチームではなかったんです。たまたま僕の小学校のクラブにあいつが練習に来て。前のチームを辞めて、他のところを探していたみたいなんですよ。そこで練習に来たのですが『とんでもない奴がいるな』と思いました」
結果的に西澤のチームに北川が入ることはなかったのだが、その後は選抜チームで一緒になり、ともに海外遠征にも行ったと振り返る。そしてふたりとも清水のジュニアユースへの入団が決まり、晴れて正式なチームメイトとなった。
ジュニアユースからユースにかけては西澤がサイドバックやサイドハーフなど様々なポジションでプレーをしてきたなか、北川は常に最前線で活躍をしてきたという。トップ昇格後の活躍はここであえて記す必要はないだろう。その姿は西澤に対する強烈な刺激になった。
「凄いですね。あいつは本当に凄い。たまに連絡を取っているんですけど、清水ですごく大きなものを背負っていますし、言葉の端々から責任感を感じる。早く自分もそういう舞台に立ちたいなと思いながら、刺激をもらいながらやっています。(北川は)自分へのプレッシャーも相当あると思うんですけど、それを力に変えていると思う。そういう部分は自分も見習わなければなと」
3年次に西澤はこう口にしていたが、その言葉からは同期生に対する尊敬の念と“このままではいけない”という危機感が存分に溢れ出ていた。この思いが彼を成長させ、故郷への帰還を引き寄せた大きな要因と言えるだろう。
正確無比な右足を武器に、筑波大や大学選抜ではクロスやセットプレーから多くのゴールを演出してきた。「キックの質に関しては通用するという実感もある」と自信を覗かせる。
次に彼が見据えるのは、大学4年間の成長の支えとなっていた北川のゴールを自らの右足で演出することだ。
取材・文●竹中玲央奈(フリーライター)
正確無比な右足を武器に、筑波大や大学選抜ではクロスやセットプレーから多くのゴールを演出してきた。「キックの質に関しては通用するという実感もある」と自信を覗かせる。
次に彼が見据えるのは、大学4年間の成長の支えとなっていた北川のゴールを自らの右足で演出することだ。
取材・文●竹中玲央奈(フリーライター)