「ボロボロになった」地域リーグでの日々。
元々、地元の名門サンダーランドのアカデミーに所属していたピックフォードは、2011年にトップチームに昇格するも、当時17歳の彼に居場所はなく、わずか半年で地域リーグ(5部)のダーリントンへレンタル移籍した。
しかし、このダーリントン入りが、ピックフォードにとってはキャリアの分岐点になったと言えるかもしれない。
当時、リーグ運営から19歳以上の選手を獲得することを禁じられていたダーリントンの指揮官クレイグ・リドルは、何を隠そう、サンダーランド・アカデミー時代のピックフォードの指導者だったのだ。
しかし、このダーリントン入りが、ピックフォードにとってはキャリアの分岐点になったと言えるかもしれない。
当時、リーグ運営から19歳以上の選手を獲得することを禁じられていたダーリントンの指揮官クレイグ・リドルは、何を隠そう、サンダーランド・アカデミー時代のピックフォードの指導者だったのだ。
その当時のことをピックフォードは、英紙『The Guardian』で次のように語っている。
「地域リーグは、環境も、プレースタイルも、本当に過酷だった(笑)。でも僕は、ボロボロになるまで何でも必死にやったよ。一人前になるためにね」
ダーリントンで半年間プレーし、サンダーランドへ出戻ったピックフォード。しかし、その後もレンタルでの武者修行は続き、アルフレントン(5部、2012-13)、バートン(4部、13-14)、カーライル(3部、13-14)、ブレントフォード(3部 14-15)、プレストン(2部、15-16)を渡り歩いた。
腐ることなく地道な努力を重ねたピックフォードは16-17シーズン、ついにサンダーランドへ完全復帰するとともに、正守護神の座を射止めた。
この頃になると、アンダー世代のイングランド代表の常連にもなっており、2016年の夏に行なわれたトゥーロン国際では優勝を経験。さらに昨夏に行なわれたU-21EUROでは、最後尾から準決勝に進出したチームを支えた。
そして、2016-17シーズンにサンダーランドが降格したこともあり、エバートンへ移籍。この時に支払われた移籍金が、GK史上3番目に高い3000万ポンド(約42億円)だったこともあり、ピックフォードの名は瞬く間に全国区となっていった。
抜群の反射神経と確かなセービング技術、そしてパントキックの精度に磨きをかけたピックフォードは、2016年9月にU-21で薫陶を受けたガレス・サウスゲイトが、スキャンダルによって代表監督を更迭されたサム・アラダイスの後任となったのを機に、A代表にも招集された。
そして、2017年11月10日に本拠地ウェンブリー・スタジアムで行なわれたドイツ戦でデビューを飾ると、見事に世界王者を完封。さらにクラブでもハイパフォーマンスを披露し続け、ついにはW杯で正GKとなったのである。
PK戦までもつれ込んだ決勝トーナメント1回戦のコロンビア戦では、カルロス・バッカのキックを止めて勝利を呼び込んだピックフォード。準決勝進出を決めたスウェーデン戦の後、「プレッシャーはないか?」と問われ、笑顔で次のように返した。
「僕は常に、フットボールを楽しんでいる。試合で力を発揮するため、毎日ジムとピッチで練習している。批判は何にも影響しないし、もっと成長したい。僕らで、歴史を作っていきたいね」
新世代の台頭によって52年ぶりの世界制覇も見えてきたイングランド。準決勝の相手クロアチアは、ルカ・モドリッチら有力なタレントを擁する難敵だが、最後尾にピックフォードがいれば何とかなる――そう思えてしまうほど、24歳の若き守護神は頼もしい。