ビジネスを体感しようと考えた契機は“10年で3億”が崩れたこと
プロ選手としてプレーしながらも、企業でのインターンをはじめ現役時代からビジネスの世界を体感しようと思ったきっかけは、最初の戦力外通告だったと本人はかつて口にしていた。
「(横浜F・)マリノスから戦力外通告を受けた際、ビッグクラブだったのですぐに(他から)話が来るかなと思ったのだが、なかなかこなかったんです。ギリギリまで決まらない中で甲府が拾ってくれたのですけど、そこで“選手生活をどう送るか”ということがどれだけ重要かを考え出しました。痛い思いをして初めて考え出したんです」
プロとして勝負をしていくことを決めたなか、“辞めた後”のことを考えている選手は少ないだろう。外池もかつてはそのひとりだった。
「10年くらいやれば3億くらいもらえるので、辞めたあとのことは考えていませんでしたね」彼はこうも語っていたが、「10年で3億」というのは当時の契約の話である。現在のように新卒選手の年俸上限が480万円ではなく、“Jリーグバブル”と謳われた時代。その当時は高卒選手が1,500万円、大卒選手が3,000万円からのスタートというのが相場であった。そうした時代背景があってこそ、“10年で3億”という計算が成り立つ。
しかし、前述のように戦力外通告を機に考え方が変わり、「24時間のことを真剣に考えるようになって、次のことを考えながらもキャリアをどう伸ばしていくかということを考えていた」のだと言う。
「(横浜F・)マリノスから戦力外通告を受けた際、ビッグクラブだったのですぐに(他から)話が来るかなと思ったのだが、なかなかこなかったんです。ギリギリまで決まらない中で甲府が拾ってくれたのですけど、そこで“選手生活をどう送るか”ということがどれだけ重要かを考え出しました。痛い思いをして初めて考え出したんです」
プロとして勝負をしていくことを決めたなか、“辞めた後”のことを考えている選手は少ないだろう。外池もかつてはそのひとりだった。
「10年くらいやれば3億くらいもらえるので、辞めたあとのことは考えていませんでしたね」彼はこうも語っていたが、「10年で3億」というのは当時の契約の話である。現在のように新卒選手の年俸上限が480万円ではなく、“Jリーグバブル”と謳われた時代。その当時は高卒選手が1,500万円、大卒選手が3,000万円からのスタートというのが相場であった。そうした時代背景があってこそ、“10年で3億”という計算が成り立つ。
しかし、前述のように戦力外通告を機に考え方が変わり、「24時間のことを真剣に考えるようになって、次のことを考えながらもキャリアをどう伸ばしていくかということを考えていた」のだと言う。