名門復権のキーマン!磐田の山田大記が掲げた3つの目標

カテゴリ:Jリーグ

サッカーダイジェスト編集部

2018年03月10日

2か月のフリー期間。常に気に掛けてくれていた存在がいた

ドイツのカールスルーエに移籍したのは、2014年7月。当初はスピード感覚の違いに戸惑ったが、約3年間の欧州生活で逞しさを増した。(C)Getty Images

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「シーズンが終わってからフリーの期間が2か月ぐらいあって、その間ずっと考えていた。とにかく本当に悩んだし、葛藤がすごくありましたから」
 
 カールスルーエとの3年契約を終えた今夏、山田はヨーロッパでのプレーを続けるつもりだった。
 
 移籍1年目からトップ下や左サイドハーフとしてコンスタントにピッチに立った。監督が代わった3年目にはメンバーから外されもしたが、チームメイトやサポーターの後押しを受けてスタメンに返り咲き、ボランチとして新境地を開拓した。チームは3部降格が決まったが、ヨーロッパでまだまだやれる自信があった。
 
 それに3年前、磐田がJ2で戦っている最中に、プロ1年目から託されていた背番号10を自ら脱ぎ、海を渡ったという経緯を考えれば、簡単に諦めて帰るわけにもいかなかった。
 
「Jリーグのクラブから好条件のオファーも頂いたんですけど、国内復帰ならジュビロしか考えられなかったし、なにより僕はヨーロッパでのチャレンジを続けたかった。実際、ドイツをはじめ、いくつかオファーがあって、そのうちのひとつに決まりかけたんです。契約書まで提示されて」
 
 そうした状況においても常に気に掛けてくれていたのが、監督の名波浩であり、強化部長の服部年宏だった。
 
 名波はかなり早い段階から「うちはいつでもウェルカムだけど、どう考えている?」と連絡をくれた。山田の希望を知ると、名波も服部も「見つかるといいな」と応援してくれた。
 
「決まりそうです、と報告した時も喜んでくれたんですけど、その後、破談になってしまって……。そうしたなかで、ずっと待ち続けてくれた。最初は日本に帰るイメージが湧かなかったんですけど、名波さんが率いて、(中村)俊輔さんが中心でやっている今のジュビロでプレーすることへのやり甲斐を感じるようになって。最終的には、今はジュビロでやらせてもらうのが自分の将来にとって一番良いんじゃないかと考えて、戻らせてもらったんです」
 
―――◆―――◆―――
 
 ドイツでの3年間、厳しい生存競争に立ち向かっていくなかで、山田は日本では得がたい経験を重ねた。
 
「やっぱり守備力、フィジカルは増したと思います。それに、向こうはスピード感覚がまるで違うんです。ドイツは守備戦術が徹底されていて、1対1の局面でドリブル突破を図っても、カバーリングが早くて簡単には抜けない。だから、相手が引いて守る前に攻めようと、どのチームも攻撃のスピードがとにかく速い。スペースも時間もないから苦労したけれど、慣れた部分もあります」
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