20歳でリバプールのレギュラーを掴む。

「まだ若いが、すでにプレミアリーグで戦える準備が整っている。向こう15年はリバプールで活躍してほしい」と、このJ・ゴメスにはクロップ監督も大きな期待を寄せる。 (C)Getty Images
少年時代から、すでに将来を嘱望される存在だった。ロンドン南部のキャトフォードで生を受け、10歳で自宅近くのクラブチーム、チャールトン・アスレティックス(現イングランド3部)の下部組織に入団。すぐに頭角を現わすと、13歳でU-18の試合に飛び級で出場するなど数々の逸話を残す。年代別のイングランド代表にも選出され、U-16からU-17、U-19と順調にステップアップし、ビッグクラブが注目する期待の新星となった。
15年6月、チェルシーをはじめ複数のクラブによる争奪戦の末、350万ポンド(約5億円)の移籍金でチャールトンからリバプールに加入。1年目の15-16シーズンに開幕スタメンを掴むと、5試合連続で先発出場を果たし、幸先の良いスタートを切った。
だが、その矢先に悲劇が起こる。15年10月、イングランドU-21代表として臨んだカザフスタン戦で右膝前十字靭帯を断裂してしまったのだ。この負傷でシーズンを棒に振ると、さらにアキレス腱の怪我を併発して翌16-17シーズンもトップフォームを取り戻せず、出場機会はゼロに終わった。
転機となったのは今シーズンの開幕前。十分な出場時間の確保が難しいと判断したクラブからレンタル移籍を打診されたものの、残留を決意した。すると、プレシーズン中に右SBのレギュラー、ナサニエル・クラインが故障離脱。開幕時はアカデミー出身の期待の新鋭、トレント・アレクサンダー=アーノルドの後塵を拝したが、徐々にクロップの信頼を掴み、レギュラーポジションを勝ち取った。
ここまでの道のりは決して平坦ではなかったが、怪我も完全に癒えたいま、その大きな潜在能力がいよいよ全面的に開花しつつある。まだ伸びしろを十分に残す20歳という年齢を考慮すれば、本人が憧れを抱くリオ・ファーディナンドのように、いずれイングランド代表の主軸へと成長しても驚きはない。
タイプとしては同胞のこのレジェンドよりも、セビージャ時代に右SBとして活躍し、レアル・マドリーでCBの第一人者に登り詰めたセルヒオ・ラモスのほうがより近いだろうか。
この偉大なCBと同じように成長を遂げ、世界的な評価を得られるか。怪我によりやや遠回りを強いられたが、ここから順調に成長曲線を描き続ければ、プレミアリーグを代表するDFへと進化できるはずだ。
文:田嶋コウスケ(フリーライター)
※ワールドサッカーダイジェスト2018.1.18号より加筆・修正
15年6月、チェルシーをはじめ複数のクラブによる争奪戦の末、350万ポンド(約5億円)の移籍金でチャールトンからリバプールに加入。1年目の15-16シーズンに開幕スタメンを掴むと、5試合連続で先発出場を果たし、幸先の良いスタートを切った。
だが、その矢先に悲劇が起こる。15年10月、イングランドU-21代表として臨んだカザフスタン戦で右膝前十字靭帯を断裂してしまったのだ。この負傷でシーズンを棒に振ると、さらにアキレス腱の怪我を併発して翌16-17シーズンもトップフォームを取り戻せず、出場機会はゼロに終わった。
転機となったのは今シーズンの開幕前。十分な出場時間の確保が難しいと判断したクラブからレンタル移籍を打診されたものの、残留を決意した。すると、プレシーズン中に右SBのレギュラー、ナサニエル・クラインが故障離脱。開幕時はアカデミー出身の期待の新鋭、トレント・アレクサンダー=アーノルドの後塵を拝したが、徐々にクロップの信頼を掴み、レギュラーポジションを勝ち取った。
ここまでの道のりは決して平坦ではなかったが、怪我も完全に癒えたいま、その大きな潜在能力がいよいよ全面的に開花しつつある。まだ伸びしろを十分に残す20歳という年齢を考慮すれば、本人が憧れを抱くリオ・ファーディナンドのように、いずれイングランド代表の主軸へと成長しても驚きはない。
タイプとしては同胞のこのレジェンドよりも、セビージャ時代に右SBとして活躍し、レアル・マドリーでCBの第一人者に登り詰めたセルヒオ・ラモスのほうがより近いだろうか。
この偉大なCBと同じように成長を遂げ、世界的な評価を得られるか。怪我によりやや遠回りを強いられたが、ここから順調に成長曲線を描き続ければ、プレミアリーグを代表するDFへと進化できるはずだ。
文:田嶋コウスケ(フリーライター)
※ワールドサッカーダイジェスト2018.1.18号より加筆・修正