自由を求めたトルシエ。自由を認めてきた人たち。
おそらく横浜F・マリノスは、5月17日の発表に頭から冷水を浴びせられるほどの衝撃を受けたに違いない。実際、トルシエ監督への怒りを口にするクラブ関係者は少なくなかったらしい。
それはそうだろう。先の欧州遠征に5人の主力を送り出し、その戦力ダウンが影響して、チームはナビスコカップで早々と敗退してしまった。タイトルひとつ逃してもなお、日本代表に協力した横浜にすれば、最終メンバーに残ったのが松田直樹ひとりというのは受け入れがたいことである。
「複雑な気持ちです」と、キャプテン・松田の口は重い。横浜サイドに立って選考を眺めるなら、「振り回された」という感情が湧き上がるのもやむをえないところだ。
しかし、省みてみるべきだろう。選んだトルシエ監督という人物を、である。彼の就任からおよそ3年半が経つ。その間、彼が行なってきたメンバー選考作業に、Jリーグ・クラブへの配慮を強く感じるケースはほとんどなかった。それどころか所属選手が一度として試合に出ることなく、ときにはコンディションを落としてクラブに帰ってくる場合もたびたびあった。コパ・アメリカの鈴木秀人、コンフェデレーションズ・カップの藤田俊哉、先の遠征における奥大介を思い出せばいい。
しかしクラブは、財産である所属選手を最大限守る立場にあるものの、トルシエ・ジャパンの下では選手がメンバー入りしやすいよう、クラブがあえて意見してこなかった形跡があった。これは横浜に限らず、ほとんどのクラブに言えることで、拡大解釈すればJリーグは大方、トルシエ監督の手法を黙認してきた。
クラブやJリーグだけではない。雇い主である日本サッカー協会もそうだろう。2000年春、ソウルで韓国に敗れた試合をきっかけに、トルシエ監督はその去就を大いに取りざたされた。そして結果的に、トルシエ監督の手腕を疑問視していた何人かの担当者が強化部門を外れ、岡野俊一郎・日本サッカー協会会長を本部長とする強化推進本部が発足。監督を全面的に信頼、バックアップするという結論で決着をみた。今回の会見不在もまた、トルシエ監督の意向(自由)を協会側が完全に受け入れた形のもので、その点、けなげなほどに一貫した方針が貫かれている。
そして、われわれマスコミも同じである。それまでのプロセスを度外視した選考が目立つ監督に対して、声高にクレームをつけてはこなかった。疑問を呈することはあっても、世論を左右するまでのキャンペーンはしていない。
それはそうだろう。先の欧州遠征に5人の主力を送り出し、その戦力ダウンが影響して、チームはナビスコカップで早々と敗退してしまった。タイトルひとつ逃してもなお、日本代表に協力した横浜にすれば、最終メンバーに残ったのが松田直樹ひとりというのは受け入れがたいことである。
「複雑な気持ちです」と、キャプテン・松田の口は重い。横浜サイドに立って選考を眺めるなら、「振り回された」という感情が湧き上がるのもやむをえないところだ。
しかし、省みてみるべきだろう。選んだトルシエ監督という人物を、である。彼の就任からおよそ3年半が経つ。その間、彼が行なってきたメンバー選考作業に、Jリーグ・クラブへの配慮を強く感じるケースはほとんどなかった。それどころか所属選手が一度として試合に出ることなく、ときにはコンディションを落としてクラブに帰ってくる場合もたびたびあった。コパ・アメリカの鈴木秀人、コンフェデレーションズ・カップの藤田俊哉、先の遠征における奥大介を思い出せばいい。
しかしクラブは、財産である所属選手を最大限守る立場にあるものの、トルシエ・ジャパンの下では選手がメンバー入りしやすいよう、クラブがあえて意見してこなかった形跡があった。これは横浜に限らず、ほとんどのクラブに言えることで、拡大解釈すればJリーグは大方、トルシエ監督の手法を黙認してきた。
クラブやJリーグだけではない。雇い主である日本サッカー協会もそうだろう。2000年春、ソウルで韓国に敗れた試合をきっかけに、トルシエ監督はその去就を大いに取りざたされた。そして結果的に、トルシエ監督の手腕を疑問視していた何人かの担当者が強化部門を外れ、岡野俊一郎・日本サッカー協会会長を本部長とする強化推進本部が発足。監督を全面的に信頼、バックアップするという結論で決着をみた。今回の会見不在もまた、トルシエ監督の意向(自由)を協会側が完全に受け入れた形のもので、その点、けなげなほどに一貫した方針が貫かれている。
そして、われわれマスコミも同じである。それまでのプロセスを度外視した選考が目立つ監督に対して、声高にクレームをつけてはこなかった。疑問を呈することはあっても、世論を左右するまでのキャンペーンはしていない。