「これで生きているんだと実感できる瞬間を大事にする」
――その富士の地で、小学3年生の時にサッカーを始めました。
「初日の練習で、3年生と4年生で試合をしたんです。結果は、0-8の完敗。それで、失点の数×5周を走りなさい、と。少年団に入っていきなり40周、走らされたんですよ(笑)。それまでドッヂボールやキックベース、マラソンや100メートル走とか、遊びでも体育の授業でやるいろんな種目でも、なんでもすぐにできたんです。
でも、サッカーはそうじゃなかった。8点も取られて負けたし、リフティングも最初はなかなかできなかった。初めての習い事で、みんなと競い合いながら上を目指していくという意味でも、サッカーって大変だなというところから始まった。もう、そこから『壁』があったわけですよ(笑)」
――その『壁』は長いキャリアの中で、何度も川口選手の前に立ちはだかりました。たとえば、2013年末に磐田でゼロ円提示を受けた時もそうだったと思います。
「多くの選手が経験していることだとは思いますが、自分の中では初めてのことでした。ちょうど、ふたり目の子どもが生まれる前後のことで、大変な時期でもありました。
うぬぼれていたわけではありませんが、J1はもちろん、代表でも、海外でもやってきた。2013年もそれなりに試合には出ていたし、スムーズに次が決まるかと思っていましたけど、考えが甘かったですね。1か月ぐらいオファーを待つ状態で、引退という二文字がちらつきましたが、それは絶対にしたくなかった。でも、移籍先が決まらなければ、自分の意志とは関係なく、現役を辞めなければならない。
妻にも前向きなことがなかなか言えませんでした。不安はありましたが、でもその気持ちを誰にも言えなくて、あの時は苦しかったですね」
――最終的には、J2の岐阜への移籍が決まりましたが、当時のように心が折れそうな時、苦境に陥った時、そこから這い上がるために大事にしてきたこととは?
「諦めたくないとか、もっと頑張らないととか、自分を奮い立たせることも必要ですが、僕の場合は、グラウンドに入ると、そういった感情は一切なくなって、純粋にサッカーを楽しめているんです。一生懸命に練習に励めば、充実感を得られる。
その時の気持ちだけは、絶対に忘れないようにしていました。自分が立ち返る場所というのかな。サッカーで勝負していて、これで生きているんだと実感できる瞬間を大事にする。必死にやるけど、エンジョイすることも忘れないように、という感じですね」
「初日の練習で、3年生と4年生で試合をしたんです。結果は、0-8の完敗。それで、失点の数×5周を走りなさい、と。少年団に入っていきなり40周、走らされたんですよ(笑)。それまでドッヂボールやキックベース、マラソンや100メートル走とか、遊びでも体育の授業でやるいろんな種目でも、なんでもすぐにできたんです。
でも、サッカーはそうじゃなかった。8点も取られて負けたし、リフティングも最初はなかなかできなかった。初めての習い事で、みんなと競い合いながら上を目指していくという意味でも、サッカーって大変だなというところから始まった。もう、そこから『壁』があったわけですよ(笑)」
――その『壁』は長いキャリアの中で、何度も川口選手の前に立ちはだかりました。たとえば、2013年末に磐田でゼロ円提示を受けた時もそうだったと思います。
「多くの選手が経験していることだとは思いますが、自分の中では初めてのことでした。ちょうど、ふたり目の子どもが生まれる前後のことで、大変な時期でもありました。
うぬぼれていたわけではありませんが、J1はもちろん、代表でも、海外でもやってきた。2013年もそれなりに試合には出ていたし、スムーズに次が決まるかと思っていましたけど、考えが甘かったですね。1か月ぐらいオファーを待つ状態で、引退という二文字がちらつきましたが、それは絶対にしたくなかった。でも、移籍先が決まらなければ、自分の意志とは関係なく、現役を辞めなければならない。
妻にも前向きなことがなかなか言えませんでした。不安はありましたが、でもその気持ちを誰にも言えなくて、あの時は苦しかったですね」
――最終的には、J2の岐阜への移籍が決まりましたが、当時のように心が折れそうな時、苦境に陥った時、そこから這い上がるために大事にしてきたこととは?
「諦めたくないとか、もっと頑張らないととか、自分を奮い立たせることも必要ですが、僕の場合は、グラウンドに入ると、そういった感情は一切なくなって、純粋にサッカーを楽しめているんです。一生懸命に練習に励めば、充実感を得られる。
その時の気持ちだけは、絶対に忘れないようにしていました。自分が立ち返る場所というのかな。サッカーで勝負していて、これで生きているんだと実感できる瞬間を大事にする。必死にやるけど、エンジョイすることも忘れないように、という感じですね」