30年前に選手権を沸かせた男――三渡洲アデミールの新たな挑戦

カテゴリ:Jリーグ

粕川哲男

2017年07月21日

日本人になれなかったアデミール・サントスは…。

清水時代は猛練習を重ね、大木武コーチに「もう休め」と止められたという。

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 91年の日本人との入籍が考慮されて、95年に帰化が認められたが、それまでは外国籍選手として3つの出場枠を争わなくてはならなかった。「スタメンで起用する」「外国人は3人までしか取らない」。契約の際にかわした口約束も、残念ながら守ってもらえなかった

 エメルソン・レオン監督が指揮を執った92年から94年にかけて、清水はトニーニョやシジマールなど7人ものブラジル人を獲得している。
 
 日本人になれなかったアデミール・サントスは、彼らを上回るプレーを見せて、出場枠に食い込むしかなかった。
 
 サテライトのコーチだった大木武(現・FC岐阜監督)に「もう休め」と止められるほど猛練習を重ね、何とか出場機会を掴んだものの、身体はボロボロだった。常に足に痛みを抱え、髄膜炎も患った。
 
 オズワルド・アルディレス監督を迎えた96年は、春先からやけに調子が良く、開幕戦にも途中出場。だが、「いよいよチャンスが巡ってきた」と思った第2節の直前、またしても怪我での離脱を余儀なくされた。
 
「そこから1年……、午前午後午前午後ずっとリハビリ。ノイローゼになりそうだった。(ダニエレ)マッサーロも間接ねずみでリハビリしていたので、もう嫌になって、ふたりでバスケットボールをして遊んでいた。

 それで、ブラジルで手術を受けたいとお願いしたら『自分のお金で行け』だって。ひどいよ。本当は契約書にブラジルまでのチケット2枚と書いてあったんだけど……、いまさら言ってもしょうがない。清水での5年間は、本当にいろんなことがあった。話し始めたら朝までかかっちゃうよ(笑)。結局、運が悪かった。精一杯頑張ったけど、タイミングがすべて悪かった。それだけ」
 
 97年、コンディションが戻らずに引退した。怪我に泣き、リハビリに耐えるのも限界。ラ・コルーニャ(スペイン)への移籍話は立ち消え、日本代表入りの夢も叶わなかった。そして何よりも、信頼していた人の裏切りに遭い深く傷ついた。お金にしか興味がないと思われる大人たちの姿に、ひどく失望した。
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