幼い頃からパスをつなぐことがサッカーだと刷り込んでいるのは…。
サッカーでもっとも大切なことは、敵の背後を取ること。そのためには敵を間近まで引きつけなければならない。敵が近くなるほど失うリスクは高まるが、股抜きはやりやすくなる。股抜きはもっとも効果的な背後を取る手段だ。
個人技に自信があるベネズエラは、敵が間合いに入ってきても怖がらない。むしろ喜んで身体を密着させ、ごそっと敵の背後を取る。それは特別なことではない。ヨーロッパや南米なら、誰でもやっているようなことだ。
ところが、日本はそれができない。やろうともしない。
なぜか。それはひとつには、幼いころから1対1でボールを奪い合うような遊びをしていないからだ。また幼い頃からパスをつなぐことがサッカーだと刷り込まれている。
刷り込んでいるのは、私たち大人だ。指導者であり、メディアであり、ファンだ。
曰く――日本人は小さいから接触を避け、長所である俊敏性を生かしたプレーをすべきだ。
メディアの端くれである私も、賛同していた時期があった。
だが、それは正しくないということが、この大会で改めて分かった。日本は俊敏性を生かしたプレーをすることが、むしろ短所になっている。
肉体がフレッシュなグループステージでは、まだ日本らしいプレーをすることができる。敗れたウルグアイ戦も、後半は日本が細かくパスをつないで主導権を握る時間帯があった。
だが中2日の4試合目となったベネズエラ戦、日本は前半こそ何度かチャンスを作ったが、足が止まった後半以降はほとんど何もできなかった。
こまめに動いてパスコースを作る日本のゲームは、足が止まるとゼロになる。2010年南アフリカ大会、パラグアイにPK負けした4試合目もそうだった。
中3日と日本よりも好条件で試合を迎えたベネズエラも、明らかに疲れていた。グループステージの軽やかな動きが陰を潜めた。
だが動きが鈍い中でも、彼らは随所に局面を打開するプレーを見せた。じっくりと身体をぶつけ合い、背後を取ることができるからだ。これは体力の問題ではない。
個人技に自信があるベネズエラは、敵が間合いに入ってきても怖がらない。むしろ喜んで身体を密着させ、ごそっと敵の背後を取る。それは特別なことではない。ヨーロッパや南米なら、誰でもやっているようなことだ。
ところが、日本はそれができない。やろうともしない。
なぜか。それはひとつには、幼いころから1対1でボールを奪い合うような遊びをしていないからだ。また幼い頃からパスをつなぐことがサッカーだと刷り込まれている。
刷り込んでいるのは、私たち大人だ。指導者であり、メディアであり、ファンだ。
曰く――日本人は小さいから接触を避け、長所である俊敏性を生かしたプレーをすべきだ。
メディアの端くれである私も、賛同していた時期があった。
だが、それは正しくないということが、この大会で改めて分かった。日本は俊敏性を生かしたプレーをすることが、むしろ短所になっている。
肉体がフレッシュなグループステージでは、まだ日本らしいプレーをすることができる。敗れたウルグアイ戦も、後半は日本が細かくパスをつないで主導権を握る時間帯があった。
だが中2日の4試合目となったベネズエラ戦、日本は前半こそ何度かチャンスを作ったが、足が止まった後半以降はほとんど何もできなかった。
こまめに動いてパスコースを作る日本のゲームは、足が止まるとゼロになる。2010年南アフリカ大会、パラグアイにPK負けした4試合目もそうだった。
中3日と日本よりも好条件で試合を迎えたベネズエラも、明らかに疲れていた。グループステージの軽やかな動きが陰を潜めた。
だが動きが鈍い中でも、彼らは随所に局面を打開するプレーを見せた。じっくりと身体をぶつけ合い、背後を取ることができるからだ。これは体力の問題ではない。