イングランドが世界一に返り咲くために取り払うべき文化とは?

イングランド代表のキャプテンを務めたテリー・ブッチャーが1990年のワールドカップ予選で見せた流血姿は不屈の精神を体現するものだったが、技術の無さに目が向けられることはなかった。 (C) Getty Images
グアルディオラはストーンズのプレーを称え、多くの出場機会を与えたが、細かなテクニックよりもハードな肉弾戦を好むイングランドのフットボール信者たちには、少なくない抵抗感を抱かせた。
そうしたネガティブな雰囲気の影響を受け、開幕当初の過度な期待感は薄らぎつつある。それほどまでにグアルディオラの志向するスタイルは、プレミアリーグにとって未知なるものだったのである。
しかし、グアルディオラがもたらした変化が少なからず影響を与えていることに、私は身近なところで気づくことができた。
13歳になる私の息子が在籍するサッカークラブの新任監督が導入した新しい戦術が、ポゼッションスタイルだったのだ。DFからいくつものパスを通し、GKをビルドアップに加えて攻撃的に振る舞うその戦い方は、グアルディオラの求めるものと似ていた。
しかし、そのスタイルもグアルディオラに対する周囲の反応と同様に、チームが難色を示し、結果には結びつかなかった。
そして、その新任監督は9試合を指揮した後にクラブを去ることとなった。
もちろん、チーム内で不満が漏れたということは、監督の手腕に問題があったと言わざるを得ないが、「ポゼッションなんて無理だ」と決めつけたかのようなチームのスタンスには、少年サッカーとはいえがっくりときた。
イングランドのフットボールに求められるものは何か――。
それは何よりもタフで、肉体的にも、精神的にも不屈であることだ。これは長らくイングランドにおいて根づいてきた、いわば文化である。
しかし、イングランドが再び世界最高のレベルに返り咲きたいのならば、そうした考えを一新する必要がある。グアルディオラがいる今こそ、その文化を考え直すべきなのではないだろうか。
文:スティーブ・マッケンジー
スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドンに生まれる。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。
そうしたネガティブな雰囲気の影響を受け、開幕当初の過度な期待感は薄らぎつつある。それほどまでにグアルディオラの志向するスタイルは、プレミアリーグにとって未知なるものだったのである。
しかし、グアルディオラがもたらした変化が少なからず影響を与えていることに、私は身近なところで気づくことができた。
13歳になる私の息子が在籍するサッカークラブの新任監督が導入した新しい戦術が、ポゼッションスタイルだったのだ。DFからいくつものパスを通し、GKをビルドアップに加えて攻撃的に振る舞うその戦い方は、グアルディオラの求めるものと似ていた。
しかし、そのスタイルもグアルディオラに対する周囲の反応と同様に、チームが難色を示し、結果には結びつかなかった。
そして、その新任監督は9試合を指揮した後にクラブを去ることとなった。
もちろん、チーム内で不満が漏れたということは、監督の手腕に問題があったと言わざるを得ないが、「ポゼッションなんて無理だ」と決めつけたかのようなチームのスタンスには、少年サッカーとはいえがっくりときた。
イングランドのフットボールに求められるものは何か――。
それは何よりもタフで、肉体的にも、精神的にも不屈であることだ。これは長らくイングランドにおいて根づいてきた、いわば文化である。
しかし、イングランドが再び世界最高のレベルに返り咲きたいのならば、そうした考えを一新する必要がある。グアルディオラがいる今こそ、その文化を考え直すべきなのではないだろうか。
文:スティーブ・マッケンジー
スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドンに生まれる。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。