小林祐希の原点<1> 幼稚園でリフティング1000回超! 卒園時に「日本代表になる」

カテゴリ:日本代表

加部 究

2016年11月09日

シドニー五輪予選中継のオープニングシーンに抜擢される。

小学生時代に優勝したエコパカップでの集合写真。後列右から2番目の13番の選手が小林。すでにこの頃、後にホームスタジアムとなる場所で戦っていた。写真提供:小林拓也

画像を見る

 小学生時代から、祐希の毎日はサッカー一色に染まっていた。低学年まではスクール形式が主体となるJACPAで、特別にふたつのクラスを掛け持ち、土日には東村山市の「サンデーSS」に参加した。
 
 この年代では、前後半を総入れ替えして8人制で戦うことが多かった。祐希はフィールドでプレーしたあとの残り半分をGKで出場していたが、相手のシュートをキャッチすると、 そのままドリブルで運び始め、全員を抜いてゴールネットを揺らしたこともある。当時の祐希は、すべてを備えていた。プロになってから苦戦を強いられるスピードや運動量でさえ群を抜き、それを支えていたのが持ち前の負けん気と、必然的に形成されつつある勝利への責任感(プライド)だった。
 
 当時筆者は、フジテレビで『セリエAダイジェスト』の構成に関わっていて、プロデューサーとの雑談で祐希のことに話題が及ぶと、早速興味を示してきた。ちなみに番組で解説をしていたのが都並敏史で、この雑談に加わっていた。
 
 2000年シドニー五輪最終予選、日本が本大会出場を決める中継はこんな暗示的なシーンで始まっている。
 
 ボールを足もとに置いた少年が、高木を見上げ、未来への夢を馳せる――。それが祐希だった。
 
「近所の公園で撮影しました。すごく喜んでいましたよ。でも、結構長い時間をかけて撮ったのに、映ったのがほんの一瞬だけだったので、さすがにそこは拍子抜けしていましたけど(笑)」(父・拓也)
 
 それからしばらくは、中継本編の主役となった中村俊輔のプレーを焼きつけてから、サッカーに出かけていくのが日課になったという。
 
取材・文:加部 究(スポーツライター)
【関連記事】
【日本代表】小林祐希に求められるもの――ハリルのリクエストは「寄せの距離短縮」と「ドリブルからの左足」
ある天才少年の今――幼稚園時から名波浩にも似た才気を放ったレフティが、荒波を乗り越えて見据える場所
【日本代表】ストライカー不遇の法則。佐藤寿人、豊田陽平…それでも代表監督に愛されなかった理由
「中学生だよね?」市船指揮官も感嘆する久保建英の存在感。帰国後1年半の成果はどこに?
名古屋降格について、本田の心境は? 「ナラさんは引退も視野に入れているだろうし…」

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト 王国の誇りを胸に
    4月10日発売
    サッカー王国復活へ
    清水エスパルス
    3年ぶりのJ1で異彩を放つ
    オレンジ戦士たちの真髄
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 特別企画
    5月1日発売
    プレミアリーグ
    スター★100人物語
    絆、ルーツ、感動秘話など
    百人百通りのドラマがここに!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 完全保存版
    1月17日発売
    第103回全国高校サッカー選手権
    決戦速報号
    前橋育英が7年ぶりの戴冠
    全47試合&活躍選手を詳報!
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ