「自分にとっても幸福な月日だった」
2011年3月11日、東北地方は未曽有の大震災に襲われた。絶望感のなかで、それでも仙台というクラブは復興のシンボルになろうと歩みを止めなかった。避難所生活を強いられた選手もいたが戦い続け、4位となった。
その翌年だった。ブラジル人FWが中国の陝西宝栄から仙台に加入した。すると、32試合・13得点という成績を挙げるとともにベストイレブンにも選ばれた。クラブはJ1リーグで優勝争いを繰り広げ、勝点57を積み上げて2位に。もちろんクラブ最高成績である。
「1年目から活躍できて、チームにとっても、自分にとっても幸福な月日だった。心から素晴らしいと思える5年間だったよ。残念ながら怪我で離脱してしまった時もあったが、出場した試合では全力を尽くしたつもりだ。
サポーターはそれを感じてくれていたと思う。いつも大きな声援を送ってくれ、自分をリスペクトしてくれていると感じて、ピッチでは戦えていた。
最後に、いつまでも終わらないんじゃないかというくらい長い時間、チャントを歌ってくれた。感動したよ。頑張って堪えたけど、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。ハッキリと自分のチャントを聞けて、これはずっと自分の中に残り続ける」
ラグビーの元ニュージーランド代表で世界的な名選手としてならした故ジョナ・ロムー氏はこんな言葉を残している。
「ニュージーランドにも罰走のような練習がありました。何十回もグラウンドを往復させられる。タイムを切れなければさらに増える。もう足も動かない。頭は下がる。
でも、ふと両脇を見ると仲間も同じように走っている。こいつらが一緒なら乗り切れると思える。窮地に立たされれば人間の本当の姿もわかります」
ウイルソンは、ある意味で復興の光だった。前に進むのも厳しい状況が襲い掛かってくる、下ばかりを見たくなる。そんな時にサッカーを見れば、仙台が勝っている。ウイルソンが躍動している。
サポーターが「仙台がいれば」と腹の奥底から声援を送ったように、クラブも選手も「サポーターがいれば」と最後の最後までボールを追った。みんなが、「一緒なら乗り越えられる」と、あの時に考えていたはずだ。
その翌年だった。ブラジル人FWが中国の陝西宝栄から仙台に加入した。すると、32試合・13得点という成績を挙げるとともにベストイレブンにも選ばれた。クラブはJ1リーグで優勝争いを繰り広げ、勝点57を積み上げて2位に。もちろんクラブ最高成績である。
「1年目から活躍できて、チームにとっても、自分にとっても幸福な月日だった。心から素晴らしいと思える5年間だったよ。残念ながら怪我で離脱してしまった時もあったが、出場した試合では全力を尽くしたつもりだ。
サポーターはそれを感じてくれていたと思う。いつも大きな声援を送ってくれ、自分をリスペクトしてくれていると感じて、ピッチでは戦えていた。
最後に、いつまでも終わらないんじゃないかというくらい長い時間、チャントを歌ってくれた。感動したよ。頑張って堪えたけど、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。ハッキリと自分のチャントを聞けて、これはずっと自分の中に残り続ける」
ラグビーの元ニュージーランド代表で世界的な名選手としてならした故ジョナ・ロムー氏はこんな言葉を残している。
「ニュージーランドにも罰走のような練習がありました。何十回もグラウンドを往復させられる。タイムを切れなければさらに増える。もう足も動かない。頭は下がる。
でも、ふと両脇を見ると仲間も同じように走っている。こいつらが一緒なら乗り切れると思える。窮地に立たされれば人間の本当の姿もわかります」
ウイルソンは、ある意味で復興の光だった。前に進むのも厳しい状況が襲い掛かってくる、下ばかりを見たくなる。そんな時にサッカーを見れば、仙台が勝っている。ウイルソンが躍動している。
サポーターが「仙台がいれば」と腹の奥底から声援を送ったように、クラブも選手も「サポーターがいれば」と最後の最後までボールを追った。みんなが、「一緒なら乗り越えられる」と、あの時に考えていたはずだ。