亡くなるその日まで仕事に打ち込んだ父。
藤春は大学4年時、プロ入りの可能性が出てきた頃に、父・末廣さん(享年55歳)を亡くしている。拡張型心筋症を患い、入退院を繰り返しながら5年以上の闘病生活を送った末廣さんは、亡くなったその日まで勤務先となる東大阪市の工場で、仕事をしていたと言う。
「お父さんは(余命)あと1年と言われてから5年、生きたんです。亡くなる前の1週間くらいは、仕事でもおかしかったみたい。物をこぼしたり、変なところでつまずいたり。おかしいのは自分でも気づいていたと思う。負けず嫌いやから、とお母さんは言っていた。だから最後まで仕事してたんかな」
そう思い出を語る男は、確かに父から受け継いだ気性を持つ。
G大阪のチームメートで元日本代表MFの今野は、藤春を高く評価するひとりだ。
「スピードなら長友以上だと思う。普段はそんなに自分から話をするタイプじゃないし、何を考えているのか分かんないけど、特に代表に入ってからは、サッカーでは誰にも負けたくない、って思っているんだなと感じるようになった」
G大阪・長谷川監督も「五輪を経験して、さらに伸びる可能性はある。日本代表のレギュラーを目指して欲しい」と期待をかけ、チームから送り出した。
「五輪に出る以上、ひとつでも上を目指して、金メダルを取って帰ってきたい。どれだけ通用するか、戦う相手は強いほうがいい」
出発前にこう抱負を語っていた藤春。
相手が誰であろうが負けたくない――。そんな思いを胸に秘めた27歳が、自らの可能性を信じ、初めての世界大会に挑む。
「お父さんは(余命)あと1年と言われてから5年、生きたんです。亡くなる前の1週間くらいは、仕事でもおかしかったみたい。物をこぼしたり、変なところでつまずいたり。おかしいのは自分でも気づいていたと思う。負けず嫌いやから、とお母さんは言っていた。だから最後まで仕事してたんかな」
そう思い出を語る男は、確かに父から受け継いだ気性を持つ。
G大阪のチームメートで元日本代表MFの今野は、藤春を高く評価するひとりだ。
「スピードなら長友以上だと思う。普段はそんなに自分から話をするタイプじゃないし、何を考えているのか分かんないけど、特に代表に入ってからは、サッカーでは誰にも負けたくない、って思っているんだなと感じるようになった」
G大阪・長谷川監督も「五輪を経験して、さらに伸びる可能性はある。日本代表のレギュラーを目指して欲しい」と期待をかけ、チームから送り出した。
「五輪に出る以上、ひとつでも上を目指して、金メダルを取って帰ってきたい。どれだけ通用するか、戦う相手は強いほうがいい」
出発前にこう抱負を語っていた藤春。
相手が誰であろうが負けたくない――。そんな思いを胸に秘めた27歳が、自らの可能性を信じ、初めての世界大会に挑む。