99-00シーズンより、ロッソネロのユニホームを身に纏った彼は、高い順応性を示し、ファーストシーズンからゴールの山を築いていく。チームとしてはいまひとつの結果に終わったこのシーズン、シェフチェンコは最終的に24ゴールを記録してリーグ得点王に輝く。
ミランの外国人としては、グンナー・ノルダール(スウェーデン)以来となる、2人目の得点王となったシェフチェンコ。翌シーズンは同じく24得点、01-02シーズンは14得点を記録したが、続く02-03シーズンは5ゴールに止まる。しかし、シーズン後の喜びはこの時が一番大きかった。
99年の加入以来、シェフチェンコはチームタイトルとは縁遠く、02年夏の時点では何も得られていなかった。そして迎えた02-03シーズン、ミランは2つのタイトルを手にする。ひとつはコッパ・イタリア、そしてもうひとつはチャンピオンズ・リーグだ。
長くイタリア勢が苦しんでいた欧州の覇権争いにおいて、ウェンブリーでユベントスと対峙した決勝。スコアレスで迎えたPK戦で、ウイニングゴールを決めたのが、シェフチェンコだった。
翌シーズンには24ゴールを挙げ、2度目の得点王に輝くとともに、チームのスクデット獲得にも貢献した彼は、外国人でありながらミランの顔として認められ、パオロ・マルディーニ引退後のキャプテン候補にも挙げられるほどだった。
ミランで充実の時を過ごしていた彼は、ウクライナ代表としては06年、国にとっても、自身にとっても初のメジャー大会であるドイツ・ワールドカップに出場。サウジアラビア戦で初ゴール、チュニジア戦で決勝ゴールを決め、チームのベスト8進出に多大な貢献を果たした。
ちなみに彼は自国開催となったEURO2012でもメンバーに名を連ね、グループステージ初戦のスウェーデン戦では2ゴールを挙げて勝利に貢献している(その後、2敗を喫して決勝トーナメントには進めず)。
06-07シーズン、彼はチェルシーへ移籍する。シルビオ・ベルルスコーニ・オーナーが息子の名付け親になるなどミランとの良好な関係を保ちながらも、新天地を求めたのは、イングランド・サッカーへの憧れ、そして家庭の事情によるものだった。
当時、勢いのあった名将ジョゼ・モウリーニョの下でどれだけの仕事を果たせるか注目されたが、プレミアリーグのスタイルやチームの戦い方に馴染めず、1年目はわずか4得点。2シーズン目には出場機会も半減することとなり、彼のイングランドでの挑戦は2年で終了した。
08-09シーズンにミランにレンタルで復帰するも、すでに往年の力は消え失せており、18試合出場で無得点。翌シーズン、チェルシー復帰を経て、ウクライナに帰国したシェフチェンコは、キャリアの原点であるキエフに戻り、ここで3シーズンを過ごした。
そして12年7月、彼は現役引退を表明。理由は政界進出というものだった。そして早速、同年10月の議員選挙に立候補したものの、残念ながら落選の憂き目に遭っている。
その後、今度はプロゴルファーに転身し、13年には初めて大会にも参加。ゴルフが競技に加えられたリオデジャネイロ・オリンピックへの出場を目指すなど、ここでも多くの話題を提供した。
このように引退後は、政治、ゴルフ、そしてビジネスと、多岐にわたって活躍するシェフチェンコだが、世界のサッカーファンの脳裏には、このレジェンドによる鮮やかなゴールの記憶が、いまだに強く刻み込まれている。
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