なぜMVPを目標にするのか
泣き虫のキャプテンと言うべきか。2024年のチームの解散式の日にも、脇坂の頬には光るものが流れていた。もっともそれは誰よりも感受性豊かで、周囲の人たちの想いを汲み取り、感謝を素直に表現できる、彼の人間性あってこその姿である。そして、そんな脇坂泰斗を生み出したのは、川崎というクラブの温かみだとも評せる。
「今年の解散式は多くのスタッフの方が変わるっていうこともあり、泣いている選手が多かったですね。一方で僕は通常運転です(笑)。プロ1年目からずっと泣いていますから。もう毎年で一番嫌いな日なんですよ。誰かと別れなくちゃいけないので。
それこそ1年目の時も(森谷)賢太郎くんや、タサさん(田坂祐介)らがチームを離れるということで、ワンワン泣いて。もう本当にお世話になって、試合になかなか絡めず、すごく苦しかった1年目だったんですが、先輩としてプロとしての振る舞いを学ばせてもらった方々でした。賢太郎くんやタサさんも当時、あまり上手くいっていないシーズンだったと思うんです。でも、自分に矢印を向け続けていた。今の僕があるのは、1年目の先輩方の背中を見たからこそなんです。
それは2年目も3年目もずっと一緒で、だから解散式では毎年ギャンギャン泣いて。その意味では、本当に僕は周囲の方々に恵まれてきたんだなと、川崎でやってこられて良かったなと、改めて実感していますね。それに今度は僕がそういった背中を見せていける選手になりたいとも思っています」
その昨年末の解散式、チームを離れる恩師・鬼木達監督とは様々な話をした。
「オニさんとは思い出が一杯あるので、その振り返りと言いますか、この時はこうでしたねとか、こんな時ありましたね、みたいに語り合いました。それこそ監督室に呼ばれることもありましたし、結果を出せなくて、替えられた時に不満を表わしてしまって、怒られたり時もありました。
でもオニさんから言ってもらえたのは『ヤスは魅せることができる数少ないプレーヤーだから、それを続けてほしい』っていう言葉。それはすごく嬉しかったです。それにキャプテンになってからもオニさんはずっと『ヤスがヤスであることが1番チームのためだから』って言い続けてくれていたんです。それは今後も意識していきたいですね」
「今年の解散式は多くのスタッフの方が変わるっていうこともあり、泣いている選手が多かったですね。一方で僕は通常運転です(笑)。プロ1年目からずっと泣いていますから。もう毎年で一番嫌いな日なんですよ。誰かと別れなくちゃいけないので。
それこそ1年目の時も(森谷)賢太郎くんや、タサさん(田坂祐介)らがチームを離れるということで、ワンワン泣いて。もう本当にお世話になって、試合になかなか絡めず、すごく苦しかった1年目だったんですが、先輩としてプロとしての振る舞いを学ばせてもらった方々でした。賢太郎くんやタサさんも当時、あまり上手くいっていないシーズンだったと思うんです。でも、自分に矢印を向け続けていた。今の僕があるのは、1年目の先輩方の背中を見たからこそなんです。
それは2年目も3年目もずっと一緒で、だから解散式では毎年ギャンギャン泣いて。その意味では、本当に僕は周囲の方々に恵まれてきたんだなと、川崎でやってこられて良かったなと、改めて実感していますね。それに今度は僕がそういった背中を見せていける選手になりたいとも思っています」
その昨年末の解散式、チームを離れる恩師・鬼木達監督とは様々な話をした。
「オニさんとは思い出が一杯あるので、その振り返りと言いますか、この時はこうでしたねとか、こんな時ありましたね、みたいに語り合いました。それこそ監督室に呼ばれることもありましたし、結果を出せなくて、替えられた時に不満を表わしてしまって、怒られたり時もありました。
でもオニさんから言ってもらえたのは『ヤスは魅せることができる数少ないプレーヤーだから、それを続けてほしい』っていう言葉。それはすごく嬉しかったです。それにキャプテンになってからもオニさんはずっと『ヤスがヤスであることが1番チームのためだから』って言い続けてくれていたんです。それは今後も意識していきたいですね」
そして今季就任した長谷部茂利監督からは同じように「泰斗のプレーを崩さないで、出してもらうことがチームのためだ」との言葉をかけてもらい、2年連続でのキャプテンを託されたことも印象深い。
しかも長谷部監督は小学校時代に所属していた本郷FCの大先輩であり、本郷FCの指導者からはよく「長谷部のようになれ」と言われていたという。
「本郷FCは50周年を迎えたチームで、僕の知る限りですと、プロの世界で活躍されているのは、長谷部さん、今年から町田のヘッドコーチになられた有馬(賢二)さん、そして僕と弟(脇坂崚平/ヴァンラーレ八戸)だと思うんです。そのなかで、長谷部さんは中盤の中央の選手で、僕も子どもの頃からそうだったので、“長谷部さんのように”と常に言われてきたんです。だからここで一緒に仕事をさせてもらえるのは何かの縁みたいなものも感じるんです。
また今のトップチームには、ユースの時にお世話になった関(智久/トレーナー)さん、ヤス(長橋康弘/ヘッドコーチ)さんがいて、巡り合わせで片付けられないような、出会いに恵まれているなと改めて感じています。関さんとは、僕がトップ昇格できず大学に行くと決まった際に『ヤス、いつかトップで一緒にやろうね』って話もしていたんです。その約束は叶ったわけで。久野(智昭/U-15生田監督)さんも僕をセレクションで取ってくた人でもあって、出会いってやっぱり大事だなと」
そんな多くのつながりを経て改めて臨む2025年へ、脇坂は「リーグMVP」という明確な目標を掲げる。
「自分のモットーまではいかないんですが、自分に対して厳しいことや難しいことをあえてメディアの方に言うっていうのは数年前からやっているんです。それによって危機感や責任感は増しますし、周囲からのプレッシャーも強くなる。でもそういう期待を力に変えたい。だからこそMVPは本気で狙っています。
3年連続でベストイレブンを受賞させていただいて、4年連続とはいきませんでしたが、昨年は優秀選手にも選んでいただきました。自分としては手応えがなく、恥ずかしい想いもありましたが、周囲の方々の評価は嬉しいものがありました。
そのうえでやっぱり唯一取っていない個人タイトル、MVPを目指したい。本気で掴みにいかないと、絶対に届かないですから。そして昨年のアウォーズには、(高井)幸大、(山田)新と3人で行かせていただきましたが、3人とも思ったはずです。来年は全員でこの場所に来たいと。それには優勝するしかない」
改めて6月11日には30歳の誕生日を迎える。
こんな30歳になりたいというイメージはないのだという。それでも目標にブレはない。
「自分を超えたい。現状維持は衰退だと本当にそう思いますし、成長し続けたうえで、新たな自分を見せたいです」
ここからは、自分が憧れてきた背中を次世代につなげる仕事も担う。悩みも尽きないだろう。でも、そんな日々を力に変えて脇坂が2025年のJリーグで突き抜ける姿を示してくれることを力強く信じたい。
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
しかも長谷部監督は小学校時代に所属していた本郷FCの大先輩であり、本郷FCの指導者からはよく「長谷部のようになれ」と言われていたという。
「本郷FCは50周年を迎えたチームで、僕の知る限りですと、プロの世界で活躍されているのは、長谷部さん、今年から町田のヘッドコーチになられた有馬(賢二)さん、そして僕と弟(脇坂崚平/ヴァンラーレ八戸)だと思うんです。そのなかで、長谷部さんは中盤の中央の選手で、僕も子どもの頃からそうだったので、“長谷部さんのように”と常に言われてきたんです。だからここで一緒に仕事をさせてもらえるのは何かの縁みたいなものも感じるんです。
また今のトップチームには、ユースの時にお世話になった関(智久/トレーナー)さん、ヤス(長橋康弘/ヘッドコーチ)さんがいて、巡り合わせで片付けられないような、出会いに恵まれているなと改めて感じています。関さんとは、僕がトップ昇格できず大学に行くと決まった際に『ヤス、いつかトップで一緒にやろうね』って話もしていたんです。その約束は叶ったわけで。久野(智昭/U-15生田監督)さんも僕をセレクションで取ってくた人でもあって、出会いってやっぱり大事だなと」
そんな多くのつながりを経て改めて臨む2025年へ、脇坂は「リーグMVP」という明確な目標を掲げる。
「自分のモットーまではいかないんですが、自分に対して厳しいことや難しいことをあえてメディアの方に言うっていうのは数年前からやっているんです。それによって危機感や責任感は増しますし、周囲からのプレッシャーも強くなる。でもそういう期待を力に変えたい。だからこそMVPは本気で狙っています。
3年連続でベストイレブンを受賞させていただいて、4年連続とはいきませんでしたが、昨年は優秀選手にも選んでいただきました。自分としては手応えがなく、恥ずかしい想いもありましたが、周囲の方々の評価は嬉しいものがありました。
そのうえでやっぱり唯一取っていない個人タイトル、MVPを目指したい。本気で掴みにいかないと、絶対に届かないですから。そして昨年のアウォーズには、(高井)幸大、(山田)新と3人で行かせていただきましたが、3人とも思ったはずです。来年は全員でこの場所に来たいと。それには優勝するしかない」
改めて6月11日には30歳の誕生日を迎える。
こんな30歳になりたいというイメージはないのだという。それでも目標にブレはない。
「自分を超えたい。現状維持は衰退だと本当にそう思いますし、成長し続けたうえで、新たな自分を見せたいです」
ここからは、自分が憧れてきた背中を次世代につなげる仕事も担う。悩みも尽きないだろう。でも、そんな日々を力に変えて脇坂が2025年のJリーグで突き抜ける姿を示してくれることを力強く信じたい。
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)