この1年間は「我慢の連続」だった。
これまでにも浦和には、マルシオ・リシャルデスなど長期離脱を余儀なくされたプレーヤーがいた。チームの野崎信行トレーナーは、「一流の選手であるほど、できるはずのことができない今の自分と向き合わなくてはいけないんです。僕たちは一緒にリハビリをしていくことで、途中までは一緒にやっていけます。でも、本当に最後の感覚的な部分についてはひとりで乗り越えてもらうことしかできないんです」と話していた。
石原もまた、その最後のところ、山の8合目、9合目から上の部分で苦しんでいる時期にあるという。
「本当にいろいろなことがありましたよね。階段の上り下りもできないところから考えれば。手術した当時は、膝の曲がり方が元に戻るのか、またボールを蹴れるところまでいくのかという不安がありましたけど、今やっとここまできて、ボールを蹴ることや走ることへの不安がなくなったので。あとは対人や一瞬のプレーという、自分の持ち味、ストロングポイントをもっと出していくには、頭と身体の差を埋めるしかないですから。練習のなかでも、積極的にやっていこうとはしていますね」
石原にとって、この1年間はどんなものだったのか――。日に日に変化する自分の身体や、精神的な浮き沈みを考えれば、それらを短い言葉にまとめるのはあまりに難しいだろう。しかし、返ってきた言葉には「我慢」の二文字が繰り返された。
「すごく我慢の1年でしたね。これだけ長くサッカーができなかったのは人生で初めてでした。新天地に来て、『これからだ』という時の怪我だったので、我慢の連続ですね」
石原もまた、その最後のところ、山の8合目、9合目から上の部分で苦しんでいる時期にあるという。
「本当にいろいろなことがありましたよね。階段の上り下りもできないところから考えれば。手術した当時は、膝の曲がり方が元に戻るのか、またボールを蹴れるところまでいくのかという不安がありましたけど、今やっとここまできて、ボールを蹴ることや走ることへの不安がなくなったので。あとは対人や一瞬のプレーという、自分の持ち味、ストロングポイントをもっと出していくには、頭と身体の差を埋めるしかないですから。練習のなかでも、積極的にやっていこうとはしていますね」
石原にとって、この1年間はどんなものだったのか――。日に日に変化する自分の身体や、精神的な浮き沈みを考えれば、それらを短い言葉にまとめるのはあまりに難しいだろう。しかし、返ってきた言葉には「我慢」の二文字が繰り返された。
「すごく我慢の1年でしたね。これだけ長くサッカーができなかったのは人生で初めてでした。新天地に来て、『これからだ』という時の怪我だったので、我慢の連続ですね」