松本の躍進を支えたヒーロー。塩沢が見せたトライアウト後の振る舞い。
斉藤が「今日は同じチームに良いムードメーカーがいて助かりました」と名指ししたのが、村上和弘(仙台)だ。2006年以来、2度目の参加となる村上は若い選手に積極的に声をかけ、即席チームを盛り立てた。
「チームが結果を出すことで個人が評価されるというのが自分のポリシー。その点、30分2本出て、1勝1敗だったのはちょっと悔しい。『これが仙台の村上だ』というのはある程度表現できたし、やれることはやり切りました。一緒にやったほかの選手たちにも道が拓けたらいいなと思います」
トライアウトを終えた村上は、天皇杯を残す仙台の練習に再合流する。「僕は仙台に2度もお世話になりながらなにも残せていないんです。あと3つ勝ってタイトルを置き土産にできればカッコいいじゃないですか」と朗らかに笑い去って行った。
斉藤、村上はともにクラブから指導者のオファーを受けたが、現役続行にこだわった。彼らと同様、ピッチに立ち続けることに執念を燃やすベテランがもうひとりいる。塩沢勝吾(松本)、33歳。近年の松本の躍進を支えた地元のヒーローだ。
「自分の力は全部出し切りました。アピールしたかったのはヘディングの強さと得点力。結果として1点取れて良よかったです。自分でもびっくりするくらいきれいに決まりましたね。苦しいリハビリを乗り越えたばかりですし、ボロボロになるまでやりたい」
松本のフロントは塩沢の功績に報いるために引退試合を企画し、最後の晴れ舞台まで用意していた。塩沢はかねてより、セカンドキャリアは教職と決めており、生活に憂いなく教員採用試験に臨めるように、引退試合の収益を特別手当てとする計画だった。
塩沢はスペシャルな計らいに対して深々と頭を下げつつ、これを豪快に蹴っ飛ばしたのだ。彼の気質をよく知る柴田峡コーチは苦笑する。
「功労者を送り出すために心を砕いた連中は頭を抱えていましたよ。まあ、本人がやりたいって言うんだから応援するしかないよね。サッカーと向き合う真面目さ、愚直さは誰にも負けないでしょう。あとは空中戦の強さ。これはやはり抜群です」
トライアウトが終了した直後の塩沢の振る舞いが印象に残る。塩沢は流れる汗をぬぐいながらチームメイトと握手し、審判団にも率先して歩み寄って握手。ピッチに一礼して去った。すると他の選手もならい、レフェリーと手を握り合っていった。
彼が不在だった次のゲームではどうだったか。試合後、三々五々に散り、レフェリーに接触しようとする選手は誰ひとりとしていなかった。キャリアの瀬戸際で決まった鮮やかなゴールに加え、そういった所作すべてに塩沢という選手の価値が示されているように見えた。
取材・文:海江田哲朗(フリーライター)
「チームが結果を出すことで個人が評価されるというのが自分のポリシー。その点、30分2本出て、1勝1敗だったのはちょっと悔しい。『これが仙台の村上だ』というのはある程度表現できたし、やれることはやり切りました。一緒にやったほかの選手たちにも道が拓けたらいいなと思います」
トライアウトを終えた村上は、天皇杯を残す仙台の練習に再合流する。「僕は仙台に2度もお世話になりながらなにも残せていないんです。あと3つ勝ってタイトルを置き土産にできればカッコいいじゃないですか」と朗らかに笑い去って行った。
斉藤、村上はともにクラブから指導者のオファーを受けたが、現役続行にこだわった。彼らと同様、ピッチに立ち続けることに執念を燃やすベテランがもうひとりいる。塩沢勝吾(松本)、33歳。近年の松本の躍進を支えた地元のヒーローだ。
「自分の力は全部出し切りました。アピールしたかったのはヘディングの強さと得点力。結果として1点取れて良よかったです。自分でもびっくりするくらいきれいに決まりましたね。苦しいリハビリを乗り越えたばかりですし、ボロボロになるまでやりたい」
松本のフロントは塩沢の功績に報いるために引退試合を企画し、最後の晴れ舞台まで用意していた。塩沢はかねてより、セカンドキャリアは教職と決めており、生活に憂いなく教員採用試験に臨めるように、引退試合の収益を特別手当てとする計画だった。
塩沢はスペシャルな計らいに対して深々と頭を下げつつ、これを豪快に蹴っ飛ばしたのだ。彼の気質をよく知る柴田峡コーチは苦笑する。
「功労者を送り出すために心を砕いた連中は頭を抱えていましたよ。まあ、本人がやりたいって言うんだから応援するしかないよね。サッカーと向き合う真面目さ、愚直さは誰にも負けないでしょう。あとは空中戦の強さ。これはやはり抜群です」
トライアウトが終了した直後の塩沢の振る舞いが印象に残る。塩沢は流れる汗をぬぐいながらチームメイトと握手し、審判団にも率先して歩み寄って握手。ピッチに一礼して去った。すると他の選手もならい、レフェリーと手を握り合っていった。
彼が不在だった次のゲームではどうだったか。試合後、三々五々に散り、レフェリーに接触しようとする選手は誰ひとりとしていなかった。キャリアの瀬戸際で決まった鮮やかなゴールに加え、そういった所作すべてに塩沢という選手の価値が示されているように見えた。
取材・文:海江田哲朗(フリーライター)