「メッシに最終コーナーでラストスパートをかけられる屈辱」C・ロナウドの現況に元マドリー指揮官が見解「どんな札束でも、痛みがお金で緩和されるとは…」
カテゴリ:ワールド
2023年02月25日
バロンドールが選出されるたびにメッシのような天才を目の敵に…
複数の有名紙がW杯期間中にポルトガル人に向けて実施したアンケートによると、70%が彼の控え降格を希望すると答えたという。この数字をどこまで鵜呑みにしていいか分からないが、ファンの間で無関心・当たり前に受け止められていた事実が、緩やかな曲線カーブを描きながら始まった彼の凋落が一気に加速したことを裏付けていた。
悲しい現実であるが、敗者は忘却の彼方でこそ求められることの証左でもあろう。そんな中、現代社会にありがちなことだが、悲嘆に暮れるクリスティアーノを救ったのはお金だった。額が大きくなれば、その出所がどこかという事実は二の次になる。人気争いにおいてもメッシに敗れた事実も後押しし、これからクリスティアーノは人々から賞賛の気持ちよりも感謝の気持ちで評価されることになるだろう。
そしてその感謝の気持ちを国内のフットボール熱の高まりに還元できると判断したのがサウジアラビアの人間だった。世界的なアイドルの登場はその国のアイデンティティを強化する。フットボールは、カジュアルな見かけからは想像がつかないほど深いところで人の感情の流れを動かす力を持っている。
私がこれからのクリスティアーノに望むこと、それはこの変化を楽しんでもらいたいということだ。そうすれば、最大の敵として立ちはだかり続けている時間も、正当に彼を評価する術を知ることになるはずだ。何しろ間違った扉からフットボール界を去ろうとしている男は、我々がこよなく愛するこのゲームの記念碑なプレイヤーなのだ。
【PHOTO】絶世の美女がずらり! C・ロナウドの“元恋人&パートナー”たちを年代順に一挙公開!
悲しい現実であるが、敗者は忘却の彼方でこそ求められることの証左でもあろう。そんな中、現代社会にありがちなことだが、悲嘆に暮れるクリスティアーノを救ったのはお金だった。額が大きくなれば、その出所がどこかという事実は二の次になる。人気争いにおいてもメッシに敗れた事実も後押しし、これからクリスティアーノは人々から賞賛の気持ちよりも感謝の気持ちで評価されることになるだろう。
そしてその感謝の気持ちを国内のフットボール熱の高まりに還元できると判断したのがサウジアラビアの人間だった。世界的なアイドルの登場はその国のアイデンティティを強化する。フットボールは、カジュアルな見かけからは想像がつかないほど深いところで人の感情の流れを動かす力を持っている。
私がこれからのクリスティアーノに望むこと、それはこの変化を楽しんでもらいたいということだ。そうすれば、最大の敵として立ちはだかり続けている時間も、正当に彼を評価する術を知ることになるはずだ。何しろ間違った扉からフットボール界を去ろうとしている男は、我々がこよなく愛するこのゲームの記念碑なプレイヤーなのだ。
【PHOTO】絶世の美女がずらり! C・ロナウドの“元恋人&パートナー”たちを年代順に一挙公開!
今世紀に入ってからフットボール人気に火をつけ続けてきた男であり、バロンドールが選出されるたびにメッシのような天才を目の敵にし、レアル・マドリーという世界で最も栄光に包まれたクラブでアルフレッド・ディ・ステファノのような歴史的英雄に挑み続けた男でもある。
支配圏がサウジアラビア限定されてしまったとはいえ、クリスティアーノが今もこの先もフットボール史においてあらゆる意味で唯一無二の存在である事実は変わることはないのだ。
文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸
【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。
※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。
支配圏がサウジアラビア限定されてしまったとはいえ、クリスティアーノが今もこの先もフットボール史においてあらゆる意味で唯一無二の存在である事実は変わることはないのだ。
文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸
【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。
※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。