ガン再発も「鬱陶しい相手と旅行をする気分だ」
ミラノに程近いクレモナの出身で、裕福な家庭に育った。父親が建設業で財を成し、一家は古城で貴族のような暮らしを送っていたそうだ。子供のような無邪気さのなかに、そこはかとなく品格が漂っていたのは、だからだろう。それが独特の魅力となって人を惹きつけた。訃報に接したイングランドのファンは、誰もが自身の身内を失ったようにショックを受け、悲しんだ。
チェルシーで過ごしたのは現役引退までの最後の3年間だった。2年目の97-98シーズン途中からは監督を兼任した。プレミアリーグで指揮を執る最初のイタリア人監督になった。解任されたルート・フリットの後を継ぎ、98年2月からチームを率いると、ヴィアッリは指揮官として見事な手腕を発揮する。カップウィナーズ・カップを制し、プレミアリーグでも4位に導いたのだ。
監督としても独特の感性を発揮した。気付けに一杯とばかりにシャンペンを煽って初陣に臨んだ。会見では芝居がかった振る舞いで鷹揚にタバコをくゆらせてみたり、カメラを取り出し壇上から記者の一人ひとりを撮影したりと、いたずらな魅力を振りまいた。
チェルシーで過ごしたのは現役引退までの最後の3年間だった。2年目の97-98シーズン途中からは監督を兼任した。プレミアリーグで指揮を執る最初のイタリア人監督になった。解任されたルート・フリットの後を継ぎ、98年2月からチームを率いると、ヴィアッリは指揮官として見事な手腕を発揮する。カップウィナーズ・カップを制し、プレミアリーグでも4位に導いたのだ。
監督としても独特の感性を発揮した。気付けに一杯とばかりにシャンペンを煽って初陣に臨んだ。会見では芝居がかった振る舞いで鷹揚にタバコをくゆらせてみたり、カメラを取り出し壇上から記者の一人ひとりを撮影したりと、いたずらな魅力を振りまいた。
すい臓がんだった。2017年から闘病生活を続け、一度は克服して21年のEUROをイタリア代表のスタッフとして戦った。固い絆で結ばれた盟友マンチーニを助けるチームマネジャーとして、アッズーリの優勝に貢献している。
チャーミングなあの笑顔をイタリアのベンチに見つけ、嬉しくなったのを覚えている。しかし、がんは再発してしまった。「鬱陶しい相手と旅行をするそんな気分だ」と語ったその言葉が、いかにもヴィアッリらしかった。
ルカ、どうか安らかに──。
文●スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)
Steve MACKENZIE
スティーブ・マッケンジー/1968年6月7日、ロンドン生まれ。ウェストハムとサウサンプトンのユースでプレー経験がある。とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からのサポーターだ。スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝した。現在はエディターとして幅広く活動。05年には『サッカーダイジェスト』の英語版を英国で手掛け出版した。
※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年2月2日号より転載
チャーミングなあの笑顔をイタリアのベンチに見つけ、嬉しくなったのを覚えている。しかし、がんは再発してしまった。「鬱陶しい相手と旅行をするそんな気分だ」と語ったその言葉が、いかにもヴィアッリらしかった。
ルカ、どうか安らかに──。
文●スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)
Steve MACKENZIE
スティーブ・マッケンジー/1968年6月7日、ロンドン生まれ。ウェストハムとサウサンプトンのユースでプレー経験がある。とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からのサポーターだ。スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝した。現在はエディターとして幅広く活動。05年には『サッカーダイジェスト』の英語版を英国で手掛け出版した。
※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年2月2日号より転載