ハリルホジッチ監督が遠藤保仁を代表に呼ばない理由は……。
もっとも、誤解されがちだが、縦の速さを攻撃に取り入れるのは今に始まったことではない。
アルベルト・ザッケローニ監督もブラジル・ワールドカップ前になって、裏にボールを出して走り込む、という攻撃を盛んに取り入れようとしていた。大会直前の合宿でも、「世界で戦うためには不可欠」と必死にその意識を選手に植え付けようとしている。
しかし、「ボールを支配して攻める」という自分たちのやり方を過信した主力選手たちは、それを積極的に取り入れなかった。
ハリルホジッチ監督が遠藤保仁を代表に呼ばないのは年齢の理由もあるだろうが、スタイル浸透を急いでいるからだろう。新たなモデルを作るには、数人の主力は残しても“いくつかのパーツ”を替えた方が手っ取り早い。
事実、ハビエル・アギーレ前代表監督は2015年1月のアジアカップ、ほぼザックジャパンを踏襲したメンバーで挑み、準々決勝のUAE戦でつなぐことに溺れた結末を迎えているのだ。
そう考えれば、ハリルホジッチの試行錯誤には同情の余地はあるだろう。
しかし良くも悪くも、日本ではカウンター戦術を卑怯と捉えるところがある。実際にJ1のクラブを見ても、鋭いカウンターを放つ戦略が定着したチームは皆無に等しい。多くは単なる人海戦術の域を出ず、組織的な守備網は作り上げられたとしても、ジョゼ・モウリーニョやラファエル・ベニテスが率いるチームのように研ぎ澄まされた速攻戦術の確立には至っていない。
ハリルホジッチの理論は正しいが、どこか違和感がある。その理由は、彼が日本人の特性を弁えず、彼だけの基準で選考、起用していることにあるのかもしれない。
日本代表に選出できるのはJリーグ、もしくはそこで巣立った選手たちである。指揮官がかつて率いたフランス人やアルジェリア人とは違う。日本人選手は概して(個人差はあるにせよ)、ボールを扱うテクニックに優れ、アジリティに長け、組織や秩序の観念を持つ。その一方で、クロスボールの球質は低く、ゴール前での空中戦も得意とせず、プレッシャーの強度も弱く、自由自律に欠ける。
代表監督の仕事は、“日本人選手の長所短所をどう組み合わせ、勝利するか”に尽きるだろう。サッカー代表はラグビー代表のように、1年の半分も強化合宿することは不可能。“ハリル色”にすべてを染めることは能わない。
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。01年にバルセロナへ渡りライターに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写。近著に『おれは最後に笑う』(東邦出版)。
アルベルト・ザッケローニ監督もブラジル・ワールドカップ前になって、裏にボールを出して走り込む、という攻撃を盛んに取り入れようとしていた。大会直前の合宿でも、「世界で戦うためには不可欠」と必死にその意識を選手に植え付けようとしている。
しかし、「ボールを支配して攻める」という自分たちのやり方を過信した主力選手たちは、それを積極的に取り入れなかった。
ハリルホジッチ監督が遠藤保仁を代表に呼ばないのは年齢の理由もあるだろうが、スタイル浸透を急いでいるからだろう。新たなモデルを作るには、数人の主力は残しても“いくつかのパーツ”を替えた方が手っ取り早い。
事実、ハビエル・アギーレ前代表監督は2015年1月のアジアカップ、ほぼザックジャパンを踏襲したメンバーで挑み、準々決勝のUAE戦でつなぐことに溺れた結末を迎えているのだ。
そう考えれば、ハリルホジッチの試行錯誤には同情の余地はあるだろう。
しかし良くも悪くも、日本ではカウンター戦術を卑怯と捉えるところがある。実際にJ1のクラブを見ても、鋭いカウンターを放つ戦略が定着したチームは皆無に等しい。多くは単なる人海戦術の域を出ず、組織的な守備網は作り上げられたとしても、ジョゼ・モウリーニョやラファエル・ベニテスが率いるチームのように研ぎ澄まされた速攻戦術の確立には至っていない。
ハリルホジッチの理論は正しいが、どこか違和感がある。その理由は、彼が日本人の特性を弁えず、彼だけの基準で選考、起用していることにあるのかもしれない。
日本代表に選出できるのはJリーグ、もしくはそこで巣立った選手たちである。指揮官がかつて率いたフランス人やアルジェリア人とは違う。日本人選手は概して(個人差はあるにせよ)、ボールを扱うテクニックに優れ、アジリティに長け、組織や秩序の観念を持つ。その一方で、クロスボールの球質は低く、ゴール前での空中戦も得意とせず、プレッシャーの強度も弱く、自由自律に欠ける。
代表監督の仕事は、“日本人選手の長所短所をどう組み合わせ、勝利するか”に尽きるだろう。サッカー代表はラグビー代表のように、1年の半分も強化合宿することは不可能。“ハリル色”にすべてを染めることは能わない。
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。01年にバルセロナへ渡りライターに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写。近著に『おれは最後に笑う』(東邦出版)。