「サッカーへの意欲は狂気的ですらあった」
オランダ、アイントホーフェンの郊外にあるヘッフェンという町を訪れたことがある。
欧州最高のストライカーの一人だったオランダ代表ルート・ファン・ニステルローイのルポルタージュだった。彼がどのように子供時代を過ごし、最高のストライカーになったのか。その原点を訪ねる旅だった。
6歳の時に所属したのが、町にあるノーイット・ヘダフトという小さなクラブだったという。幼いころに両親が離婚したことや、ガールフレンドに対しては周りが引くほどに一途で「女好きのクライファートとは違う」なんて話や、15歳でトップチームの練習に参加していたことや、偶然クラブハウスで出会った冴えない中年の男性が、まさかのファン・ニステルローイの父親だったことや、とにかく旅をしながらルポは楽しかった。
順調にプロデビューしたファン・ニステルローイは、伸び悩んでいたという。
欧州最高のストライカーの一人だったオランダ代表ルート・ファン・ニステルローイのルポルタージュだった。彼がどのように子供時代を過ごし、最高のストライカーになったのか。その原点を訪ねる旅だった。
6歳の時に所属したのが、町にあるノーイット・ヘダフトという小さなクラブだったという。幼いころに両親が離婚したことや、ガールフレンドに対しては周りが引くほどに一途で「女好きのクライファートとは違う」なんて話や、15歳でトップチームの練習に参加していたことや、偶然クラブハウスで出会った冴えない中年の男性が、まさかのファン・ニステルローイの父親だったことや、とにかく旅をしながらルポは楽しかった。
順調にプロデビューしたファン・ニステルローイは、伸び悩んでいたという。
世界を席巻することになったFWは、もともとゴールゲッターというより、ドリブラー、もしくはパサー、一つ下のポジションだった。その技術を生かしたプレーを特徴としていた。しかし、アシスト役としては非凡ではなかった。
「コンバートがなかったら、あの栄光はない」
その意見は多数だった。
ヘーレンフェーンに移籍する前、FCデン・ボシュ時代のファン・ニステルローイは、FWにポジションを変更。そして後半戦だけで8得点し、ゴールゲッターとして開花した。本人はヘーレンフェーンに移籍後も、FWよりMFへの執着が強かったようだが、資質の問題だったのだろう。
選手はボールを蹴ることが、ほとんど本能的に好きで、それを続けるうちに、様々な岐路に立たされる。そのすべての経験によって、プロになって、プロとしての道を決定されるわけだが、生来的な資質も大きく影響する。好むと好まざるにかかわらず、運命的なものがあるのだ。
「MFとしてプレーしていたら、成功はつかめなかったかもしれない。あのコンバートが分岐点だった」
FCデン・ボシュ時代、先輩選手だったというファン・ヘルモントは、そう振り返っていた。コンバートは必然だったのか。
「でもね、ルート(ファン・ニステルローイ)がその居場所を得られたのは、なにより向上心と情熱のおかげさ。うまい選手は、ごまんといる。でも、彼のサッカーへの意欲は、狂気的ですらあった。アキレス腱の大けがを負っても、周りが制しているにもかかわらず、ほとんど休養せず、練習に打ち込んでいた。クレイジーだったよ」
ポジションを変えることによって、道に迷い、道を失う選手もいる。しかし、競技と真剣に向き合うことで、落ち着くべき場所に立てるというのはあるかもしれない。やはり、コンバートの成功は天啓と言えるだろう。
文●小宮良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月には『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たした。
「コンバートがなかったら、あの栄光はない」
その意見は多数だった。
ヘーレンフェーンに移籍する前、FCデン・ボシュ時代のファン・ニステルローイは、FWにポジションを変更。そして後半戦だけで8得点し、ゴールゲッターとして開花した。本人はヘーレンフェーンに移籍後も、FWよりMFへの執着が強かったようだが、資質の問題だったのだろう。
選手はボールを蹴ることが、ほとんど本能的に好きで、それを続けるうちに、様々な岐路に立たされる。そのすべての経験によって、プロになって、プロとしての道を決定されるわけだが、生来的な資質も大きく影響する。好むと好まざるにかかわらず、運命的なものがあるのだ。
「MFとしてプレーしていたら、成功はつかめなかったかもしれない。あのコンバートが分岐点だった」
FCデン・ボシュ時代、先輩選手だったというファン・ヘルモントは、そう振り返っていた。コンバートは必然だったのか。
「でもね、ルート(ファン・ニステルローイ)がその居場所を得られたのは、なにより向上心と情熱のおかげさ。うまい選手は、ごまんといる。でも、彼のサッカーへの意欲は、狂気的ですらあった。アキレス腱の大けがを負っても、周りが制しているにもかかわらず、ほとんど休養せず、練習に打ち込んでいた。クレイジーだったよ」
ポジションを変えることによって、道に迷い、道を失う選手もいる。しかし、競技と真剣に向き合うことで、落ち着くべき場所に立てるというのはあるかもしれない。やはり、コンバートの成功は天啓と言えるだろう。
文●小宮良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月には『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たした。