サッカー史に残るビッグゲーム後に…
幾多の名勝負が繰り広げられてきたヨーロッパのサッカー史において、「最もドラマチックだ」とも評されているのが、リバプールとミランによる2004-05シーズンのチャンピオンズ・リーグ(CL)ファイナルだ。
前半のうちに3点を先制したミランに勝利の女神が微笑むかと思われた後半、怒涛の反撃に出たリバプールが追いつき、PK戦の末にビッグイヤーを掲げた一戦は、数あるCLファイナルの歴史においても屈指の好ゲームと言われている。
「イスタンブールの奇跡」と謳われる伝説の一戦も、3点差を覆されたミランにとってはクラブ史に残る“汚点”と言っても過言ではない。
それゆえに、ピッチに立っていた選手の中には引退さえ覚悟した者もいたようだ。39分に貴重な追加点を決めたエルナン・クレスポだ。現地時間11月20日、米スポーツチャンネル『ESPN』の取材で当時の心境を明かしている。
ジョゼ・モウリーニョが就任したチェルシーで構想外となり、同シーズンにパルマ時代の恩師だったカルロ・アンチェロッティの率いるミランへやってきたクレスポ。苦心の末に辿り着いた檜舞台で天国から地獄へと叩き落とされ、「もうプレーはしたくない。引退しよう」と思ったという。
「あの日に、私はもう二度とプレーなんかしたくないと考えていた。どれだけやっても無駄だと思えたんだ。その日の私は全てを出し尽くしていた。とにかく今まで最高のプレーが出来ていた……。それは相手のディフェンダーであるジェイミー・キャラガーの本にも書いてあったよ。彼はあの試合の私を『止めることはできなかった』と記していたんだ」
前半のうちに3点を先制したミランに勝利の女神が微笑むかと思われた後半、怒涛の反撃に出たリバプールが追いつき、PK戦の末にビッグイヤーを掲げた一戦は、数あるCLファイナルの歴史においても屈指の好ゲームと言われている。
「イスタンブールの奇跡」と謳われる伝説の一戦も、3点差を覆されたミランにとってはクラブ史に残る“汚点”と言っても過言ではない。
それゆえに、ピッチに立っていた選手の中には引退さえ覚悟した者もいたようだ。39分に貴重な追加点を決めたエルナン・クレスポだ。現地時間11月20日、米スポーツチャンネル『ESPN』の取材で当時の心境を明かしている。
ジョゼ・モウリーニョが就任したチェルシーで構想外となり、同シーズンにパルマ時代の恩師だったカルロ・アンチェロッティの率いるミランへやってきたクレスポ。苦心の末に辿り着いた檜舞台で天国から地獄へと叩き落とされ、「もうプレーはしたくない。引退しよう」と思ったという。
「あの日に、私はもう二度とプレーなんかしたくないと考えていた。どれだけやっても無駄だと思えたんだ。その日の私は全てを出し尽くしていた。とにかく今まで最高のプレーが出来ていた……。それは相手のディフェンダーであるジェイミー・キャラガーの本にも書いてあったよ。彼はあの試合の私を『止めることはできなかった』と記していたんだ」
全身全霊を尽くし、「あらゆる犠牲も払って、勝てる自信もあった」というクレスポ。それでもリバプールに屈した彼は「周囲から君はよくやったが、十分じゃなかった」と言われ、ひどく落ち込み、本気で引退を考えるまでに至った。
しかし、当時30歳だったアルゼンチン代表FWの現役キャリアを繋ぎとめたのは、母国で感じたサッカーへの情熱だったという。
「私を救ったのは代表戦だった。あの試合の直後にアルゼンチンでブラジルと対戦するチームに呼ばれたんだ。僕の頭は真っ白になっていたが、代表のスタッフは君が必要なんだと熱心にサポートしてくれた。それで『もう一度やらないといけない』と奮い立てた。
その試合でも私がゴールを決めて前半のうちにアルゼンチンが3点を奪ったんだけど、後半にロベルト・カルロスがいきなり決めたんだ。正直、一瞬だけ『またか……』と思ったね(笑)。ただ、試合には3-1で勝てたよ」
その後、2012年1月にパルマで現役を引退するまで一線級のストライカーとして活躍したクレスポ。イスタンブールでの苦い経験は、いま、監督としてのセカンドキャリアを送っている彼の人生に活きていることだろう。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部