遠藤保仁はなぜ“海外への扉”を開かなかったのか。40歳になったいまも「行きたい気持ちは強くある」

カテゴリ:Jリーグ

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2020年07月09日

「ポルトガルにスペイン、あとはいまなら…」

大阪ダービーの出来がいまひとつだった遠藤ながら、水曜日の名古屋戦では途中出場できらり輝いた。これぞ“鉄人”たる所以だ。写真:徳原隆元

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 いぶし銀の輝きを放った、そう形容していいパフォ―マンスだっただろう。

 水曜日に開催されたJ1リーグ第2節、名古屋グランパス対ガンバ大阪の一戦。アウェーチームの1点ビハインドで迎えた71分、遠藤保仁がピッチに投入される。井手口陽介との2ボランチで中盤での構成力を高めると、流れはグッとガンバへ。40歳の重鎮はアディショナルタイムにパワープレーから同点弾をもたらす、呼び水となったのだ。試合は2-2の引き分けに終わっている。

 これでJ1通算出場記録を「633」試合に、全公式戦出場記録は「1016」試合に伸ばした。

 本誌「サッカーダイジェスト」の最新号では、偉業を達成した“鉄人”のキャリアをトリビュートする一大特集が組まれている。筆者は独占ロングインタビューを担当。今回はそのなかから、「海外挑戦」について本人が語った箇所を抜粋して紹介しよう。

 遠藤は言わずと知れた黄金世代のメンバーだ。小野伸二や稲本潤一、高原直泰が若くして欧州の舞台に踏み出し、さらには中田浩二や小笠原満男らも追随。彼らの挑戦を横目に見ながら、ヤットは一度たりとも日本から飛び出さなかった。もちろん、興味がなかったわけではない。嗜好とタイミングがすべてだったと、本人は振り返る。

「う~ん、ポルトガルやオランダ、スペインとかならお金が良くなくても行きたいって話はしてたけど、オファーがなかったのかな。やっぱりドイツ(ワールドカップ)で出れなかったのが大きかった。2010年のワールドカップ後に良い話はもらったけど、そのときは正直、イタリアには興味がなかったし、ガンバで不満もなかったからね」

 
 2001年に京都パープルサンガからガンバへ移籍して、早や20年目を迎えた。「加入した当初はここまで長くいる予定はなかった」と苦笑しつつ、「時代やろうね。いまならフリーになったらゼロで移籍できるし。ただ、良いときにガンバが強くなっていったのもあるし、いちばん“面白いサッカー”をしてたからね」と、愛着あるクラブへの正直な想いを吐露する。

 とはいえ、40歳となったいまでも“諦め”てはいないようだ。

「そう、海外に行きたい気持ちはいまでも強くある。マジな話で、良いチームがあればいいなぁって。それこそポルトガル、スペイン、いまならアメリカとかオーストラリアも面白そうやね。ぜんぜん行きたいし、海外に住んでみたいってのもあるから」

 不思議とヤットなら叶えてしまいそうな気が……するのは、筆者だけだろうか。

取材・文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

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