守備の安定を狙ってシステムを戻した結果、攻撃も機能。
日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく本連載。今回紹介するのは、戦前はおおいに不安視されながらも、本番では一転してサムライたちがアフリカの大地で頼もしい姿を披露した2006年大会だ。
当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
――◆――◆――
決断があと5分遅れていたら、先制点を奪ったのはデンマークのほうだったかもしれない。それほどデンマークの立ち上がりの攻撃は鋭く、日本は何度もゴールを脅かされていた。
トップ下から自由に動き回るヨン=ダール・トマソンを捕まえられない。これが再三のピンチを招いた原因だった。11分、そのトマソンに右サイドの裏を取られてクロスを上げられると、岡田武史監督がたまらずベンチを飛び出して、システム変更の指示を出した。
日本はスタメンこそ過去2試合と変わらなかったが、ピッチ上に描かれた布陣は異なっていた。これまでは4‐3‐3だったが、この日は4‐3‐2‐1。それは攻撃を意識してのことだった。
勝点3で並んでいた両者だが、得失点差で日本が上位に立っていた。つまり引き分ければ、日本が決勝トーナメントに進むことになる。スコアレスドローを狙うことも、選択肢のひとつだった。しかし、岡田監督は「良い流れで来ているのだから、引き分け狙いではなく、勝ちにいく」と、従来の3ボランチから2ボランチにして攻撃の枚数を増やし、選手たちに「攻撃的にいくぞ」というメッセージを送った。ところが、それでトマソンへの対応が甘くなってしまったのだ。
守備の安定を狙って4‐3‐3に戻した日本は、これでスムーズな攻撃をも取り戻した。直後の13分、「やりやすくなった」と振り返った大久保嘉人のフィードに松井大輔が飛び込むと、数十秒後には松井のスルーパスから長谷部誠がゴール前へ飛び出した。この2度のビックチャンスで、日本は流れを呼び込むことに成功する。本田圭佑が無回転FKを叩き込んだのは、その4分後のことだった。
当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
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決断があと5分遅れていたら、先制点を奪ったのはデンマークのほうだったかもしれない。それほどデンマークの立ち上がりの攻撃は鋭く、日本は何度もゴールを脅かされていた。
トップ下から自由に動き回るヨン=ダール・トマソンを捕まえられない。これが再三のピンチを招いた原因だった。11分、そのトマソンに右サイドの裏を取られてクロスを上げられると、岡田武史監督がたまらずベンチを飛び出して、システム変更の指示を出した。
日本はスタメンこそ過去2試合と変わらなかったが、ピッチ上に描かれた布陣は異なっていた。これまでは4‐3‐3だったが、この日は4‐3‐2‐1。それは攻撃を意識してのことだった。
勝点3で並んでいた両者だが、得失点差で日本が上位に立っていた。つまり引き分ければ、日本が決勝トーナメントに進むことになる。スコアレスドローを狙うことも、選択肢のひとつだった。しかし、岡田監督は「良い流れで来ているのだから、引き分け狙いではなく、勝ちにいく」と、従来の3ボランチから2ボランチにして攻撃の枚数を増やし、選手たちに「攻撃的にいくぞ」というメッセージを送った。ところが、それでトマソンへの対応が甘くなってしまったのだ。
守備の安定を狙って4‐3‐3に戻した日本は、これでスムーズな攻撃をも取り戻した。直後の13分、「やりやすくなった」と振り返った大久保嘉人のフィードに松井大輔が飛び込むと、数十秒後には松井のスルーパスから長谷部誠がゴール前へ飛び出した。この2度のビックチャンスで、日本は流れを呼び込むことに成功する。本田圭佑が無回転FKを叩き込んだのは、その4分後のことだった。