ゲームのほとんどはカメルーンに支配されていたが…。
日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく本連載。今回紹介するのは、戦前はおおいに不安視されながらも、本番では一転してサムライたちがアフリカの大地で頼もしい姿を披露した2006年大会だ。
当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
――◆――◆――
おそろしく退屈なゲームと言う人がいるかもしれない。しかし、そんな試合が一瞬だけ、表情を変えた。
38分、エリック・シュポ=モティングのポストプレーからエヨング・エノの鋭いシュートが日本のゴールを襲う。しかし、これが川島永嗣の正面を突くと、その1分後に日本に歓喜が訪れた。
右サイドに開いていた松井大輔へ遠藤保仁が素早いパスを送ると、松井が切り返しから左足にボールを持ちかえてクロスを放り込む。ゴール正面で大久保嘉人が相手DFと競り合ったが、ボールはその山を越えてファーサイドに流れていた本田圭佑の足下へすっぽりと納まった。あとは左足を振り抜くだけでよかった。
日本が前半に迎えた決定機は、この1度だけ。45パーセントのボールポゼッション(90分では44パーセントに下がった)が示すように、ゲームのほとんどがカメルーンに支配されていた。
カメルーンにとっては、いわば交通事故のような失点。本来ならば、巻き返しのチャンスは十分に残されているはずだ。しかし、失点した直後、記者席のテレビ画面に映し出された彼らの険しい表情が、事態の重大さを表していた。
おそらくこの時点で、この相手からゴールを奪うのは至難の業だと、彼らが気づいていたに違いない。なにしろ日本は、序盤からのらりくらりとゲームを進め、攻撃に人数をかけることもなく、守備はしっかりブロックを築いて、それを崩すことはなかったのだ。
観る者からすれば、退屈に映ったかもしれない。しかしそれは、周到に用意された戦い方でもあった。
当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
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おそろしく退屈なゲームと言う人がいるかもしれない。しかし、そんな試合が一瞬だけ、表情を変えた。
38分、エリック・シュポ=モティングのポストプレーからエヨング・エノの鋭いシュートが日本のゴールを襲う。しかし、これが川島永嗣の正面を突くと、その1分後に日本に歓喜が訪れた。
右サイドに開いていた松井大輔へ遠藤保仁が素早いパスを送ると、松井が切り返しから左足にボールを持ちかえてクロスを放り込む。ゴール正面で大久保嘉人が相手DFと競り合ったが、ボールはその山を越えてファーサイドに流れていた本田圭佑の足下へすっぽりと納まった。あとは左足を振り抜くだけでよかった。
日本が前半に迎えた決定機は、この1度だけ。45パーセントのボールポゼッション(90分では44パーセントに下がった)が示すように、ゲームのほとんどがカメルーンに支配されていた。
カメルーンにとっては、いわば交通事故のような失点。本来ならば、巻き返しのチャンスは十分に残されているはずだ。しかし、失点した直後、記者席のテレビ画面に映し出された彼らの険しい表情が、事態の重大さを表していた。
おそらくこの時点で、この相手からゴールを奪うのは至難の業だと、彼らが気づいていたに違いない。なにしろ日本は、序盤からのらりくらりとゲームを進め、攻撃に人数をかけることもなく、守備はしっかりブロックを築いて、それを崩すことはなかったのだ。
観る者からすれば、退屈に映ったかもしれない。しかしそれは、周到に用意された戦い方でもあった。