ピッポ・インザーギをスター街道に導いた恩人
3月29日、30年以上にわたって、イタリアの多くのクラブチームを率いていたエミリアーノ・モンドニコ監督が、ガンで逝去した。享年71歳。2011年にガンを患い、手術後は寛解状態だったが、その後、再発して闘病生活を送っていた。
1947年3月9日生まれのモンドニコ監督は、現役時代はウイングとしてクレモネーゼ、トリノ、アタランタなどでプレー。79年に引退し、コーチとして経験を積んだ後、81年からクレモネーゼ(81-86・07-09)で監督としてのキャリアをスタートさせた。
1947年3月9日生まれのモンドニコ監督は、現役時代はウイングとしてクレモネーゼ、トリノ、アタランタなどでプレー。79年に引退し、コーチとして経験を積んだ後、81年からクレモネーゼ(81-86・07-09)で監督としてのキャリアをスタートさせた。
その後、コモ(86-87)、アタランタ(87-90・94-98)、トリノ(90-94・98-00)、ナポリ(00-01)、コセンツァ(01-03)、フィオレンティーナ(03-04)、アルビノレッフェ(06-07・09-11)、ノバーラ(12)を指揮。1992-93シーズンにはトリノを、コッパ・イタリア制覇に導いた。
アタランタでは、監督就任1年目の87-88シーズンにカップウィナーズ・カップ(かつての欧州3大カップのひとつで各国の国内カップ優勝チームによるコンペティション)で準決勝まで進出。これはこのクラブにとって、欧州カップ戦における最も優秀な成績である。
また96-97シーズン、パルマで燻り続けて放出されたフィリッポ・インザーギの力を高く評価し、彼中心のチームを作った結果、インザーギはリーグ得点王となり、翌シーズンにユベントスへ移籍、以降はミラン、イタリア代表でも活躍し、カルチョの歴史に名を残した。
暗黒時代のナポリや、経営破綻して新たなチームとして歩み出したばかりのフィオレンティーナも指揮。後者ではわずかな期間だが、ボローニャから移籍した中田英寿とともに戦い、最後のクラブとなったノバーラには森本貴幸(現・アビスパ福岡)がいた。
モンドニコ監督の逝去を受け、イタリアの多くのクラブが、ツイッターなどで哀悼の意を表し、彼が最も長く、充実した時期を過ごしたクラブであるアタランタは、指導者としてだけでなく、その人間性も称え、また「初めてアタランタの名を欧州中に広めてくれた」と感謝の言葉を綴っている。
その長きキャリアに敬意を表し、冥福を祈りたい。