62年の歴史で連続受賞はC・ロナウドを含めて7人だけ。

バッジョは93年にバロンドールを受賞。翌年のアメリカW杯では獅子奮迅の活躍でイタリアを準優勝に導いたが、同年のバロンドール投票では惜しくも2位に終わり「連覇」はならなかった。(C) Getty Images
2017年のバロンドールはクリスチアーノ・ロナウドに決定した。C・ロナウドの受賞は2年連続。通算では5回目で、リオネル・メッシの最多記録についに並んだ。
C・ロナウドにとって2年連続受賞は13年、14年に続く2回目で、これは62年に及ぶバロンドールの歴史上、初めての快挙である。
そもそも連続受賞を達成したのは、これまでにC・ロナウドを含めて7人しかいない。そのうちメッシは09年から4年連続、フランスの英雄ミシェル・プラティニは3年連続で(83~85年)栄誉に輝いた。
残りの4人は、元オランダ代表のヨハン・クライフ(73年、74年)、元イングランド代表のケビン・キーガン(78年、79年)、元西ドイツ代表のカール=ハインツ・ルムメニゲ(80年、81年)、そして元オランダ代表のマルコ・ファン・バステン(88年、89年)という顔ぶれだ。いずれ劣らぬ歴史的名手である。
上記の7人に匹敵する功績を残しながら、惜しくも「連覇」を逃した選手は少なくない。連続受賞というのは、それだけ実現困難な大偉業なのだ。
連続受賞を逸した名手の中で、もっともその快挙に近付いたのはポルトガルのレジェンド、エウゼビオだ。65年にバロンドールの栄誉に浴したベンフィカの大エースは、翌66年の投票で受賞者のボビー・チャールトン(当時マンチェスター・U)にわずか1票及ばず涙を呑んだ。
そのチャールトンも、連覇達成に近付いたひとり。受賞した翌年の投票でやはり2位に終わっている。さらに、その次の68年も同じく2位。受賞→2位→2位と、3連覇を達成しても不思議ではなかった。
3年連続で2位以内に入ったチャールトンに匹敵する実績を誇るのが、賞の創設から3年目の58年に受賞した元フランス代表のレイモン・コパだ。翌59年の投票では2位、さらに56年と57年には3位に入った。受賞回数こそ1回ながら、4年連続での「3位入賞」は他にメッシとC・ロナウドしか達成していない偉大な記録である。
ちなみにメッシは今年まで11年連続、C・ロナウドは7年連続で3位以内に入っており、まさに異次元だ。
過去30年でいえば、4人が惜しいところで連続受賞を逃している。
88年に選出されたルート・フリットは、翌年の投票では当時ミランとオランダ代表の同僚だった前述のファン・バステンに次ぐ2位だった。また、90年ワールドカップ優勝の原動力となった西ドイツ代表のローター・マテウスはこの年に受賞し、やはり次の年には他の2人の選手ととともに2位に終わっている。
日本でも人気の高い元イタリア代表ロベルト・バッジョは93年に受賞。翌年に開催されたアメリカW杯では重要なゴールを連発し、イタリアをファイナルに導く獅子奮迅の活躍を見せた。その決勝ではPK戦の末にブラジルに敗れたが(自身はPKを失敗)、もしイタリアが優勝していたらバッジョは2年連続でバロンドールに輝いていただろう。
この94年の受賞者は、W杯で得点王を獲得したブルガリア代表のフリスト・ストイチコフ。バッジョは一歩及ばず2位だった。
W杯決勝で敗れ、その年の受賞が叶わなかったのは元ブラジル代表のロナウドも同じだ。
98年フランスW杯は、前年にバロンドールに選ばれるなど、当時「世界ナンバー1プレーヤー」の名を欲しいままにしていたロナウドの大会になると見られていた。しかし、ブラジルの若きエースは、決勝の試合前夜に過度のプレッシャーから体調を崩し、その影響からまったく精彩を欠き、チームは開催国のフランスに敗れた。
この年のバロンドールには、フランスをW杯初優勝に導いたジネディーヌ・ジダンが選ばれ、ロナウドは3番目の得票数に留まり連続受賞を逃している。
C・ロナウドにとって2年連続受賞は13年、14年に続く2回目で、これは62年に及ぶバロンドールの歴史上、初めての快挙である。
そもそも連続受賞を達成したのは、これまでにC・ロナウドを含めて7人しかいない。そのうちメッシは09年から4年連続、フランスの英雄ミシェル・プラティニは3年連続で(83~85年)栄誉に輝いた。
残りの4人は、元オランダ代表のヨハン・クライフ(73年、74年)、元イングランド代表のケビン・キーガン(78年、79年)、元西ドイツ代表のカール=ハインツ・ルムメニゲ(80年、81年)、そして元オランダ代表のマルコ・ファン・バステン(88年、89年)という顔ぶれだ。いずれ劣らぬ歴史的名手である。
上記の7人に匹敵する功績を残しながら、惜しくも「連覇」を逃した選手は少なくない。連続受賞というのは、それだけ実現困難な大偉業なのだ。
連続受賞を逸した名手の中で、もっともその快挙に近付いたのはポルトガルのレジェンド、エウゼビオだ。65年にバロンドールの栄誉に浴したベンフィカの大エースは、翌66年の投票で受賞者のボビー・チャールトン(当時マンチェスター・U)にわずか1票及ばず涙を呑んだ。
そのチャールトンも、連覇達成に近付いたひとり。受賞した翌年の投票でやはり2位に終わっている。さらに、その次の68年も同じく2位。受賞→2位→2位と、3連覇を達成しても不思議ではなかった。
3年連続で2位以内に入ったチャールトンに匹敵する実績を誇るのが、賞の創設から3年目の58年に受賞した元フランス代表のレイモン・コパだ。翌59年の投票では2位、さらに56年と57年には3位に入った。受賞回数こそ1回ながら、4年連続での「3位入賞」は他にメッシとC・ロナウドしか達成していない偉大な記録である。
ちなみにメッシは今年まで11年連続、C・ロナウドは7年連続で3位以内に入っており、まさに異次元だ。
過去30年でいえば、4人が惜しいところで連続受賞を逃している。
88年に選出されたルート・フリットは、翌年の投票では当時ミランとオランダ代表の同僚だった前述のファン・バステンに次ぐ2位だった。また、90年ワールドカップ優勝の原動力となった西ドイツ代表のローター・マテウスはこの年に受賞し、やはり次の年には他の2人の選手ととともに2位に終わっている。
日本でも人気の高い元イタリア代表ロベルト・バッジョは93年に受賞。翌年に開催されたアメリカW杯では重要なゴールを連発し、イタリアをファイナルに導く獅子奮迅の活躍を見せた。その決勝ではPK戦の末にブラジルに敗れたが(自身はPKを失敗)、もしイタリアが優勝していたらバッジョは2年連続でバロンドールに輝いていただろう。
この94年の受賞者は、W杯で得点王を獲得したブルガリア代表のフリスト・ストイチコフ。バッジョは一歩及ばず2位だった。
W杯決勝で敗れ、その年の受賞が叶わなかったのは元ブラジル代表のロナウドも同じだ。
98年フランスW杯は、前年にバロンドールに選ばれるなど、当時「世界ナンバー1プレーヤー」の名を欲しいままにしていたロナウドの大会になると見られていた。しかし、ブラジルの若きエースは、決勝の試合前夜に過度のプレッシャーから体調を崩し、その影響からまったく精彩を欠き、チームは開催国のフランスに敗れた。
この年のバロンドールには、フランスをW杯初優勝に導いたジネディーヌ・ジダンが選ばれ、ロナウドは3番目の得票数に留まり連続受賞を逃している。