昨シーズンのプレミアリーグにおけるアウェーゲームで1勝4分け14敗と大きく負け越していたバーンリーが、敵地でプレミアリーグ王者を下せたのは、「運も味方につけていた」という考え方もできる。
というのも、開始わずか14分で相手の主将ガリー・ケイヒルが一発退場となり、さらに81分にはセスク・ファブレガスが2度目の警告を受けて退場処分を科せられたからだ。
しかしながら、数的優位に立ったとはいえ、陣容ではチェルシーを下回るバーンリーが、前半だけで3点を奪って逃げきれたのは、やはり指揮官の采配が大きな影響をもたらしたと言わざるを得ない。
「私にとってベストな45分間だった」と3点を奪った前半を、そう満足げに総括するのは、バーンリーのイングランド人指揮官ショーン・ダイチだ――。
現役時代にはCBとしてプレーしていたダイチは、チェスターフィールドやミルウォールなどで459試合に出場したが、プレミアリーグでプレーした経験は一度もない。
華やかさとは無縁の現役生活を送ったダイチが指導者のキャリアをスタートさせたのは、引退からわずか数か月後の2007年のことだ。
ワトフォードのU-18チームのコーチとして招かれると、そこでの指導が評価され、09年に現在スコットランド・サッカー協会の技術委員を務めているマルコム・マッケイの監督就任を受けてトップチームのアシスタントコーチに。そしてマッケイ解任後の11年6月には、ついに監督としてのキャリアをスタートさせた。
その後、12年7月にワトフォードを辞職したダイチは、約1か月にわたってU-21イングランド代表のスタッフとして働き、同年8月にバーンリーの指揮官となった。
就任時にはチャンピオンシップ(英国2部)に属していたバーンリーだが、ダイチの熱意が実り、彼の監督3年目となる14-15シーズンにプレミアリーグに昇格。ダイチは、初のトップリーグの舞台へと到達したのである。
しかし、群雄割拠のプレミアリーグで勝ち抜ける力は、バーンリーに備わっておらず、英国内で「“バーンリー”してきた(We did the Burnley)」という造語が生まれるほどに弱さを露呈。結局、19位に終わって、わずか1年で降格となった。
しかしこの時、ダイチは俯くことなく、「必ずもう一度やり直す」とプレミアリーグへの野心を燃やしていた。
