英紙が検証! レアル・マドリー伝統の純白ユニホームは、いかにして誕生したのか

カテゴリ:メガクラブ

サッカーダイジェストWeb編集部

2017年06月03日

ロンドンのクリケット場で導入を決めた?

いよいよ明日に迫ったCL決勝で、連覇を狙うマドリー。着用ユニホームは白を希望するも、残念ながら紫に決まったようだ。(C)Getty Images

画像を見る

 史上初のチャンピオンズ・リーグ連覇に挑むレアル・マドリー。選手たちが身に覆う純白キットは“白い巨人”の代名詞であり、100年以上の長きに渡り、世界中のファンに愛されてきた。
 
 では、なぜマドリーは白いユニホームを着用するようになったのか。19世紀末にイングランドで人気を博していたアマチュアの強豪、コリンシアンズFCのそれにインスパイアされたという説が有力だ。
 
 1902年のクラブ創設を前に、視察でロンドンを訪れたマドリーの創始者たちが、スポーツマンシップやフェアプレーをモットーとするコリンシアンズの姿勢と、洗練されたプレースタイルに感銘を受け、白いユニホームの採用を決断したという。しかもその試合会場は、ロンドンにあるクリケットの聖地「ジ・オーバル」だったというおまけ付きだ。
 
 この定説が出来すぎだと、異を唱えたのが英国の高級紙『ガーディアン』である。6月2日に検証記事を掲載した。
 
 もともと英国人選手が発足時に多数関わっていただけに、コリンシアンズの存在が初期のマドリーに影響を与えた可能性は否定できない。とりわけ当時のチームの中軸で、のちの初代監督にも就任したイングランド人選手、アーサー・ジョンソンの考えが色濃く反映されたようだ。
 
 とはいえ、マドリーに来る前のジョンソンの足跡はほとんど残されておらず、イングランド国内のクラブでプレーした記録もない。いまだ謎多き人物なのである。彼は創始者のひとりで、コリンシアンズのポリシーなり白いシャツをマドリーに持ち込んだのは確かながら、ジ・オーバルで試合を観戦していたというのは脚色が強すぎる、と同紙は結論付けた。
 
 マドリーの創設者がジ・オーバルを訪れたのは、クラブ誕生の直前とされている。つまりは1902年の少し前だ。ところが調査の結果、コリンシアンズがクリケット場であるジ・オーバルで最後に試合を戦ったのは、1895年の5月だと判明した。その時期、ジョンソンは16歳だった計算になる。
【関連記事】
【CL決勝展望】連覇を狙うマドリーはベイルが先発落ち? ユーベはベストメンバー!
最新版のクラブ賃金ランクに驚愕! 吉田麻也のサウサンプトンがアトレティコより上位に!!
【CL決勝】ユーベは軽めの調整、R・マドリーは本番さながらの…ベイルより動きが良かったのは?
ピコ太郎がデル・ピエロやフィーゴよりも目立つ? CL決勝前日練習に登場!
【CL決勝】鍵を握る右SBのD・アウベス 「ブッフォンとともにトロフィーを掲げたい」

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト なでしこJに続け!
    4月10日発売
    U-23日本代表
    パリ五輪最終予選
    展望&ガイド
    熾烈なバトルを総力特集
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 世界各国の超逸材を紹介!
    4月18日発売
    母国をさらなる高みに導く
    「新・黄金世代」大研究
    列強国も中小国も
    世界の才能を徹底網羅!!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 高校サッカーダイジェストVo.40
    1月12日発売
    第102回全国高校選手権
    決戦速報号
    青森山田が4度目V
    全47試合を完全レポート
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ