「頑張れよ!」とLINE。「死ぬ物狂いで頑張ります!」
待ちに待った瞬間だ。
J1リーグ最終節、鹿島アントラーズがホームで横浜F・マリノスを2-1で下し、2016年以来9年ぶり9度目のリーグ優勝を成し遂げた。
最大の立役者は、監督の鬼木達をおいてほかにない。
今回の優勝は、鬼木監督にとって、川崎フロンターレ時代を含む国内最多8冠目。複数クラブでのJ1優勝は史上初のこと。
それも就任1年目にして実現したのだから、見事と言うしかない。
鬼木監督が来るまで、鹿島は8年に及ぶ長いトンネルから抜け出せずにいた。欧州路線に変更した時期があったり、毎年のようにコロコロと監督を交代したりするなど、方向性が定まらないチーム強化が続いた。J2降格こそなかったものの、案の定、「強いアントラーズ」は影を潜めることになった。
「このままでは危ない」
私は鹿島OB会長としてずっと心配していた。鹿島には「ジーコの教え」が根底にある。ジーコのおかげでこの鹿島がある。徹底して勝負にこだわるジーコイズムを体現するには、そのイズムを知る指揮官が必要だ。
今オフ、中田浩二が鹿島のフットボールダイレクターに就任。昨年からオファーを出していたが、ようやく「鬼木招聘」に成功したのだ。
J1リーグ最終節、鹿島アントラーズがホームで横浜F・マリノスを2-1で下し、2016年以来9年ぶり9度目のリーグ優勝を成し遂げた。
最大の立役者は、監督の鬼木達をおいてほかにない。
今回の優勝は、鬼木監督にとって、川崎フロンターレ時代を含む国内最多8冠目。複数クラブでのJ1優勝は史上初のこと。
それも就任1年目にして実現したのだから、見事と言うしかない。
鬼木監督が来るまで、鹿島は8年に及ぶ長いトンネルから抜け出せずにいた。欧州路線に変更した時期があったり、毎年のようにコロコロと監督を交代したりするなど、方向性が定まらないチーム強化が続いた。J2降格こそなかったものの、案の定、「強いアントラーズ」は影を潜めることになった。
「このままでは危ない」
私は鹿島OB会長としてずっと心配していた。鹿島には「ジーコの教え」が根底にある。ジーコのおかげでこの鹿島がある。徹底して勝負にこだわるジーコイズムを体現するには、そのイズムを知る指揮官が必要だ。
今オフ、中田浩二が鹿島のフットボールダイレクターに就任。昨年からオファーを出していたが、ようやく「鬼木招聘」に成功したのだ。
「鬼木さんが来てくれることになりました!」
中田FDからそんな連絡をもらった瞬間、私は「よし!」と思わず拳を握りしめた。「これで優勝できる! 強い鹿島が戻る!」と。
シーズン前、私は『サッカーダイジェストWeb』のJ1リーグ順位予想で、鹿島を優勝候補筆頭に挙げた。「鹿島が優勝する」と予想した理由として、「鬼木監督は鹿島イズムを知る指揮官であること」を挙げた。
最大の補強となった鬼木監督は、個人的にも現役時代に先輩として可愛がっていた後輩だ。今も会えば元気に挨拶してくれる。今オフに就任した時も「頑張れよ!」とLINEしたら、「はい、分かりました! 死ぬ物狂いで頑張ります!」と返してくれた。
彼との出会い――Jリーグが開幕した1993年、市立船橋高から鹿島に入団してきた。鹿島での鬼木は、出場機会を得られずに苦しんだ。
それも当然だ。鬼木の本来のポジションは攻撃的MF。しかし、そこにはジーコ、アルシンド、石井正忠、吉田康弘らタレントが豊富だった。
どうすれば試合に出られるのか。鬼木はサテライトリーグで経験を積みながら、サイドバックやボランチなどにも挑戦。しかし在籍した計6シーズンで残した結果は、公式戦38試合出場で2得点。レギュラーの座を最後まで掴めず、その後、彼は出場機会を求めて川崎に移籍した。鹿島で芽が出なくて川崎で花が開いたわけだけど、鹿島イズムの理解者だ。
シーズン前、彼は「当時がなかったら今はない」「勝負というものを鹿島で一番学んだ」と話していたが、あの時の悔しさは、誰よりも鬼木本人が感じていたはずだ。
鬼木が招聘された時点で「優勝」という二文字しかなかった。鬼木本人も、鹿島に監督として呼び戻されることは、タイトル奪取、言い換えれば、ジーコイズムを取り戻すことだと理解していた。
たとえば、春のキャンプで鬼木監督は「止める・蹴る」の基本技術を徹底させた。今の時代の選手は、「え! できているのに」と驚いたかもしれない。しかしこれは、ジーコが鹿島にやって来た時から実践してきたことだ。
湘南ベルマーレとの開幕戦は0-1で負けたが、その後は4連勝とスタートダッシュに成功した。
安西幸輝ら怪我人が続出するアクシデントや、二度の3連敗を喫するなど、苦しい時期もあった。しかしジーコイズムが着実に浸透してきた夏以降、「負けない鹿島」が復活。7月20日の24節以降、一度も失速することなく、最終節まで15戦無敗という驚異的なペースで勝点を積み上げてみせた。
中田FDからそんな連絡をもらった瞬間、私は「よし!」と思わず拳を握りしめた。「これで優勝できる! 強い鹿島が戻る!」と。
シーズン前、私は『サッカーダイジェストWeb』のJ1リーグ順位予想で、鹿島を優勝候補筆頭に挙げた。「鹿島が優勝する」と予想した理由として、「鬼木監督は鹿島イズムを知る指揮官であること」を挙げた。
最大の補強となった鬼木監督は、個人的にも現役時代に先輩として可愛がっていた後輩だ。今も会えば元気に挨拶してくれる。今オフに就任した時も「頑張れよ!」とLINEしたら、「はい、分かりました! 死ぬ物狂いで頑張ります!」と返してくれた。
彼との出会い――Jリーグが開幕した1993年、市立船橋高から鹿島に入団してきた。鹿島での鬼木は、出場機会を得られずに苦しんだ。
それも当然だ。鬼木の本来のポジションは攻撃的MF。しかし、そこにはジーコ、アルシンド、石井正忠、吉田康弘らタレントが豊富だった。
どうすれば試合に出られるのか。鬼木はサテライトリーグで経験を積みながら、サイドバックやボランチなどにも挑戦。しかし在籍した計6シーズンで残した結果は、公式戦38試合出場で2得点。レギュラーの座を最後まで掴めず、その後、彼は出場機会を求めて川崎に移籍した。鹿島で芽が出なくて川崎で花が開いたわけだけど、鹿島イズムの理解者だ。
シーズン前、彼は「当時がなかったら今はない」「勝負というものを鹿島で一番学んだ」と話していたが、あの時の悔しさは、誰よりも鬼木本人が感じていたはずだ。
鬼木が招聘された時点で「優勝」という二文字しかなかった。鬼木本人も、鹿島に監督として呼び戻されることは、タイトル奪取、言い換えれば、ジーコイズムを取り戻すことだと理解していた。
たとえば、春のキャンプで鬼木監督は「止める・蹴る」の基本技術を徹底させた。今の時代の選手は、「え! できているのに」と驚いたかもしれない。しかしこれは、ジーコが鹿島にやって来た時から実践してきたことだ。
湘南ベルマーレとの開幕戦は0-1で負けたが、その後は4連勝とスタートダッシュに成功した。
安西幸輝ら怪我人が続出するアクシデントや、二度の3連敗を喫するなど、苦しい時期もあった。しかしジーコイズムが着実に浸透してきた夏以降、「負けない鹿島」が復活。7月20日の24節以降、一度も失速することなく、最終節まで15戦無敗という驚異的なペースで勝点を積み上げてみせた。




















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