豪華な誕生日パーティーで“権力”を誇示したヤマル、政治的なリーダーとしての姿勢を強調したヴィニシウス――現代フットボールを象徴する2つの事例【現地発コラム】
カテゴリ:連載・コラム
2025年09月20日
誰もがSNSで注目を集めようとバカげたことをする時代
フットボールが変われば、選手も変わる。新世代の選手は有名であることが特権とされるこの時代を生き、グローバル化の波に乗って社会的、商業的、文化的地位を向上させたフットボール界に身を置いている。
時代の流れの影響を受けるのは当然のことだ。こうしてかつては控えめでミステリアスな存在だったフットボール選手は、スーパーヒーロー、インフルエンサー、時代の寵児へと変貌した。この夏、身近な例が2つあった。
ラミネ・ヤマルの誕生日パーティーは、新しいフットボール、新しいフットボール選手の純粋な形での表現だった。ヤマルは輝きに包まれ、道化師や派手な女性たちに囲まれ、贅沢と権力を誇示した。貧困から這い上がった若者の富は、その承認欲求の高さすら愛おしさを感じさせた。
誰もがSNSで注目を集めようとバカげたことをするこの時代に、世界的なスター選手であるヤマルがそのトレンドに乗ったからと言って非難される筋合いはない。誕生日パーティーは彼にとって自らの地位をアピールする機会だった。
現在の選手たちは、個人ブランドの管理を徹底している。ヘアスタイル、タトゥー、ビデオクリップがフットボール選手をポップアイコンに変えた。彼らは成功を演出する能力に長けている。神業レベルの働き、プレーをするだけではない。それと並行して自分の物語を投影する。
時代の流れの影響を受けるのは当然のことだ。こうしてかつては控えめでミステリアスな存在だったフットボール選手は、スーパーヒーロー、インフルエンサー、時代の寵児へと変貌した。この夏、身近な例が2つあった。
ラミネ・ヤマルの誕生日パーティーは、新しいフットボール、新しいフットボール選手の純粋な形での表現だった。ヤマルは輝きに包まれ、道化師や派手な女性たちに囲まれ、贅沢と権力を誇示した。貧困から這い上がった若者の富は、その承認欲求の高さすら愛おしさを感じさせた。
誰もがSNSで注目を集めようとバカげたことをするこの時代に、世界的なスター選手であるヤマルがそのトレンドに乗ったからと言って非難される筋合いはない。誕生日パーティーは彼にとって自らの地位をアピールする機会だった。
現在の選手たちは、個人ブランドの管理を徹底している。ヘアスタイル、タトゥー、ビデオクリップがフットボール選手をポップアイコンに変えた。彼らは成功を演出する能力に長けている。神業レベルの働き、プレーをするだけではない。それと並行して自分の物語を投影する。
もちろんその行動様式の変化がもたらすリスクはある。それはファンとの繋がりを失うことだ。誰もがプライベートジェットや高級腕時計、限定のパーティーに共感するわけではない。その緊張感の中では、フットボール選手は「私たちの仲間」でなくなるリスクを負っている。おそらく新世代には当てはまらないのだろう。
2つ目の身近な例はヴィニシウス・ジュニオールだ。彼も派手好きだが、別の野望を抱えている。昨今の有名選手は、繰り返しになるが、偽善的な神格化の対象になっている。この点については注意して見守る必要がある。過剰な成功体験は、権力を増長させるのと同様に、精神衛生上有害だからだ。
ヴィニシウスはさらに、殉教者のような立ち位置にいる。バロンドールを奪われ、人種差別に取り憑かれ、審判から徹底マークを受けていると感じている。見方によっては三度、英雄になっているようなものだ。被害者は社会からかつてないほど称賛されるのが昨今の傾向であり、それは五つ星のスターであっても同様だ。
ヴィニシウスのような大物を甘えさせる環境が定着したフットボール界では、なおさらその傾向は強まる。彼らに過保護な扱いをしてきたクラブと一部のメディアもその責任の一端を担っている。もちろんだからと言ってそれが世界的なスター選手としての地位を損なことにはならない。
2つ目の身近な例はヴィニシウス・ジュニオールだ。彼も派手好きだが、別の野望を抱えている。昨今の有名選手は、繰り返しになるが、偽善的な神格化の対象になっている。この点については注意して見守る必要がある。過剰な成功体験は、権力を増長させるのと同様に、精神衛生上有害だからだ。
ヴィニシウスはさらに、殉教者のような立ち位置にいる。バロンドールを奪われ、人種差別に取り憑かれ、審判から徹底マークを受けていると感じている。見方によっては三度、英雄になっているようなものだ。被害者は社会からかつてないほど称賛されるのが昨今の傾向であり、それは五つ星のスターであっても同様だ。
ヴィニシウスのような大物を甘えさせる環境が定着したフットボール界では、なおさらその傾向は強まる。彼らに過保護な扱いをしてきたクラブと一部のメディアもその責任の一端を担っている。もちろんだからと言ってそれが世界的なスター選手としての地位を損なことにはならない。