「良き敗者としての振る舞いを期待していたが幻滅させられた」
EURO2016は、ポルトガルが延長戦のエデルの決勝ゴールにより初優勝を飾って幕を閉じたが、表彰式におけるフランスの一部の選手の振る舞いについて、アメリカの『SPORTING NEWS』が厳しい論調を展開し、欧州各国のサイトでも紹介されている。
開催国でありながら決勝で敗れたフランスは、失望のうちに表彰式を迎えたが、ここでコシエルニー、ウンティティ、シュネデルラン、ジルー、マンガラといった選手が、首に銀メダルをかけられるのを拒否し、手で受け取って足早にポディウムを通り過ぎた。
また、グリエーズマンやポグバは首にかけてもらったものの、すぐにこれを外してしまっている。
この行為について『SPORTING NEWS』は、「フランスには良き敗者としての振る舞いを期待していたが、幻滅させられた」と非難している。
コシエルニーについては、完全な誤審で警告を受けたことが、その直後にエデルの決勝ゴールを許したことに影響しているともいわれており、その不満や怒りが、この行動に繋がったのかもしれない。
ただ、『SPORTING NEWS』は「パイエのタックルによってポルトガルの中心選手、C・ロナウドが前半の25分で交代を余儀なくされるなど、開催国には大きなアドバンテージがあった」として、フランスだけが“被害者”ではないと主張している。
もっとも、フランスの全ての選手を批判しているわけではなく、マテュイディについては「メダルを首にかけてもらい、ハグも受けていた。そして潔く、喜ぶポルトガル・チームの姿を瞼に焼き付けていた」と評価している。
また同サイトは、リオデジャネイロで開催される夏季オリンピックに触れ、「多くの銀メダリストが誕生することになるが、その多くは礼儀正しさを見せるだろう。マッケイラ・マロニー(ロンドン五輪で銀メダルに終わり不満の表情を見せたアメリカの女子体操選手)の例は稀のはず」としている。
この一戦に懸けていただけに、悔しさのあまり、メダルを首にかけられるのを拒否したくなる選手の気持ちも分かる。一方で、一流のスポーツマンとして人々の手本となるような態度を常に示さなければならない、という意見も間違いではないだろう。
2年前のアジア大会でも、表彰式では様々なことが起こった。逆にロンドン五輪では、銀メダル獲得を喜ぶなでしこジャパンが、表彰式で少しばかりはしゃぎ過ぎて物議を醸すことになった。
それぞれのケースにおいて異なる事情や背景があるわけで、いかなる振る舞いが正しいのかをここで一概に語ることはできないが、一流のアスリートには常に相手への敬意と、いつでもどこでも、その一挙手一投足が注目されているという自覚が必要だということだろう。
開催国でありながら決勝で敗れたフランスは、失望のうちに表彰式を迎えたが、ここでコシエルニー、ウンティティ、シュネデルラン、ジルー、マンガラといった選手が、首に銀メダルをかけられるのを拒否し、手で受け取って足早にポディウムを通り過ぎた。
また、グリエーズマンやポグバは首にかけてもらったものの、すぐにこれを外してしまっている。
この行為について『SPORTING NEWS』は、「フランスには良き敗者としての振る舞いを期待していたが、幻滅させられた」と非難している。
コシエルニーについては、完全な誤審で警告を受けたことが、その直後にエデルの決勝ゴールを許したことに影響しているともいわれており、その不満や怒りが、この行動に繋がったのかもしれない。
ただ、『SPORTING NEWS』は「パイエのタックルによってポルトガルの中心選手、C・ロナウドが前半の25分で交代を余儀なくされるなど、開催国には大きなアドバンテージがあった」として、フランスだけが“被害者”ではないと主張している。
もっとも、フランスの全ての選手を批判しているわけではなく、マテュイディについては「メダルを首にかけてもらい、ハグも受けていた。そして潔く、喜ぶポルトガル・チームの姿を瞼に焼き付けていた」と評価している。
また同サイトは、リオデジャネイロで開催される夏季オリンピックに触れ、「多くの銀メダリストが誕生することになるが、その多くは礼儀正しさを見せるだろう。マッケイラ・マロニー(ロンドン五輪で銀メダルに終わり不満の表情を見せたアメリカの女子体操選手)の例は稀のはず」としている。
この一戦に懸けていただけに、悔しさのあまり、メダルを首にかけられるのを拒否したくなる選手の気持ちも分かる。一方で、一流のスポーツマンとして人々の手本となるような態度を常に示さなければならない、という意見も間違いではないだろう。
2年前のアジア大会でも、表彰式では様々なことが起こった。逆にロンドン五輪では、銀メダル獲得を喜ぶなでしこジャパンが、表彰式で少しばかりはしゃぎ過ぎて物議を醸すことになった。
それぞれのケースにおいて異なる事情や背景があるわけで、いかなる振る舞いが正しいのかをここで一概に語ることはできないが、一流のアスリートには常に相手への敬意と、いつでもどこでも、その一挙手一投足が注目されているという自覚が必要だということだろう。