CBの資質を全て兼ね備え、プロ2年目で超名門クラブの一員に。

ここまでA代表では29試合出場2得点の記録を残している。ちなみにフランス代表の歴代最多キャップ数を誇るのは、やはりDFのリリアン・テュラムだ。 (C) Getty Images

マドリーとは2020年まで契約を結んでいる。その実力と将来性を認められている証拠だ。 (C) Getty Images
◇ラファエル・ヴァランヌ:1993年4月25日生まれ フランス・リール出身
今夏、1938、98年のワールドカップ、そしてEURO84以来となる4度目のメジャー大会、EURO2016を開催するフランス。ホストカントリーの代表チームが狙うのは、もちろん84、98年に続く自国での優勝だ。
過去2回は、ミシェル・プラティニ、ジネディーヌ・ジダンといった歴史に残るスーパースターを擁して戴冠を果たしたが、今回のフランスは11人の優れた選手による高い組織力をウリにしたチームであり、総合力は非常に高い。
脅迫事件への関与が疑われるCFカリム・ベンゼマの不参加が決定したことは、戦力的には非常に大きな痛手となるが、その穴を埋めるため、現在は多くの逸材たちが熾烈なポジション争いを展開している。
そんな前線とは対照的に、落ち着いているのが最終ライン。特にCBコンビはすでに固まっている。アーセナル所属のロラン・コシエルニー、そしてレアル・マドリー所属のラファエル・ヴァランヌだ。
今日でようやく23歳になったばかりのヴァランヌだが、すでにフランスでは最終ラインの要となっている。高さ、強さ、速さと、CBに必要な全ての資質を兼ね備え、ディディエ・デシャン監督からも厚い信頼を勝ち得ている。
マルティニークにルーツを持つ両親のもとに生まれたヴァランヌは、まさに早熟の天才である。生まれ故郷のクラブ、リールではなく、そのライバルであるランスの下部組織で腕を磨き、2010年にプロとしてのキャリアをスタートさせた。
17歳でのデビューは周囲に驚きを与えたものだが、それ以上の驚きは翌年夏にもたらされた。当時、ジョゼ・モウリーニョに率いられていたR・マドリーが、この少年の獲得を発表したのである。
プロ2年目で世界の超名門に引き抜かれた彼は、ファーストシーズンにリーグで9試合に出場し、早速ゴールも記録(1得点)。翌シーズンは15試合に出場数を増やし、そのプレーは多くの人々から称賛を浴びたが、終盤戦で右足に重傷を負い、長期の戦線離脱を余儀なくされた。
13-14シーズンも怪我に悩まされ続けたものの、アトレティコ・マドリーとのチャンピオンズ・リーグ決勝にはスタメンで出場し、劇的な展開の末に欧州制覇の喜びを味わうこととなった。
この直後には、A代表(13年3月にデビュー)として初のメジャー大会となるブラジルW杯に出場し、準々決勝までの5試合全てで出場を果たしている(スタメンは4試合)。
それから2シーズン。マドリーでは、圧倒的な能力を有しながらも、若さゆえの集中力の欠如や怪我などもあり、同ポジションのセルヒオ・ラモスやペペを追い越すまでには至っていないが、年々確実に成長を遂げており、偉大な先輩たちの域に達するのは間違いない。
一方、フランス代表では早くも不可欠な存在となっているヴァランヌ。果たして今夏、EURO84でのマシキム・ボッシ、98年W杯でのロラン・ブランのように、彼は守備のリーダーとして、自国での優勝に貢献することができるだろうか。
今夏、1938、98年のワールドカップ、そしてEURO84以来となる4度目のメジャー大会、EURO2016を開催するフランス。ホストカントリーの代表チームが狙うのは、もちろん84、98年に続く自国での優勝だ。
過去2回は、ミシェル・プラティニ、ジネディーヌ・ジダンといった歴史に残るスーパースターを擁して戴冠を果たしたが、今回のフランスは11人の優れた選手による高い組織力をウリにしたチームであり、総合力は非常に高い。
脅迫事件への関与が疑われるCFカリム・ベンゼマの不参加が決定したことは、戦力的には非常に大きな痛手となるが、その穴を埋めるため、現在は多くの逸材たちが熾烈なポジション争いを展開している。
そんな前線とは対照的に、落ち着いているのが最終ライン。特にCBコンビはすでに固まっている。アーセナル所属のロラン・コシエルニー、そしてレアル・マドリー所属のラファエル・ヴァランヌだ。
今日でようやく23歳になったばかりのヴァランヌだが、すでにフランスでは最終ラインの要となっている。高さ、強さ、速さと、CBに必要な全ての資質を兼ね備え、ディディエ・デシャン監督からも厚い信頼を勝ち得ている。
マルティニークにルーツを持つ両親のもとに生まれたヴァランヌは、まさに早熟の天才である。生まれ故郷のクラブ、リールではなく、そのライバルであるランスの下部組織で腕を磨き、2010年にプロとしてのキャリアをスタートさせた。
17歳でのデビューは周囲に驚きを与えたものだが、それ以上の驚きは翌年夏にもたらされた。当時、ジョゼ・モウリーニョに率いられていたR・マドリーが、この少年の獲得を発表したのである。
プロ2年目で世界の超名門に引き抜かれた彼は、ファーストシーズンにリーグで9試合に出場し、早速ゴールも記録(1得点)。翌シーズンは15試合に出場数を増やし、そのプレーは多くの人々から称賛を浴びたが、終盤戦で右足に重傷を負い、長期の戦線離脱を余儀なくされた。
13-14シーズンも怪我に悩まされ続けたものの、アトレティコ・マドリーとのチャンピオンズ・リーグ決勝にはスタメンで出場し、劇的な展開の末に欧州制覇の喜びを味わうこととなった。
この直後には、A代表(13年3月にデビュー)として初のメジャー大会となるブラジルW杯に出場し、準々決勝までの5試合全てで出場を果たしている(スタメンは4試合)。
それから2シーズン。マドリーでは、圧倒的な能力を有しながらも、若さゆえの集中力の欠如や怪我などもあり、同ポジションのセルヒオ・ラモスやペペを追い越すまでには至っていないが、年々確実に成長を遂げており、偉大な先輩たちの域に達するのは間違いない。
一方、フランス代表では早くも不可欠な存在となっているヴァランヌ。果たして今夏、EURO84でのマシキム・ボッシ、98年W杯でのロラン・ブランのように、彼は守備のリーダーとして、自国での優勝に貢献することができるだろうか。

EURO84、86年W杯では守備の要として活躍したボッシ。78、82年W杯でともにプレーした名手マリウス・トレゾールから多くを吸収し、攻守に貢献できる一流のDFへ昇り詰めた。SB、CB、リベロと、最終ラインでは全てのポジションに対応。82年W杯準決勝の西ドイツ戦では、大会史上初のPK戦で6人目のキッカーとして失敗するという苦い思いも味わった。 (C) Getty Images

キャプテンのデシャンとともに黄金時代のフランス代表をリードしたブラン。守備の要でありながら、98年W杯では、ジダンを出場停止で欠いた決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦で、延長戦に決勝ゴールを決めてヒーローとなった。残念ながら、準決勝のクロアチア戦で退場処分を食らったことで、栄光の瞬間をピッチ上で迎えることはできなかった。2年後のEURO2000でも優勝に貢献。GKファビアン・バルテスのスキンヘッドにキスをするのが恒例だった。 (C) Getty Images