アルゼンチンの選手たちは、敵の強みを徹底して潰し、弱点を容赦なく突いてくる。

アフリカ王者マゼンベの身体能力を活かしたサッカーに対し、高い連動性で対抗した広島。完勝に近い出来を見せたが、駆け引きに長けた南米王者を相手にどこまで通用するか見ものだ。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)
広島がアフリカ王者マゼンベを下して、リーベルとの準決勝(12月16日@長居)に駒を進めた。
彼らの試合運びには、ほとんど隙がなかった。
1、2点目はCKから、そしてダメ押しの3点目は敵の攻撃を巧みに切り返してのカウンターから。つまり、彼らはほとんどリスクを冒すことなく、3ゴールを奪ったのだ。
第三者から見れば、スリルに欠けた試合だったかもしれない。だがリスクを冒さずゴールを決められるなら、それに越したことはない。それは広島の手堅さが凝縮されたような試合だった。
もっとも、これがリーベルに通じるかとなると疑問が残る。
というのも、これは広島だけではないJリーグ全体の傾向だが、一人ひとりのプレーが素直すぎるからだ。
広島は日本でもっとも完成されたチームであり、10人のフィールドプレイヤーがプログラミングされたように整然と動く。これははまると気持ちいいが、研究されやすいということでもある。
この一戦をスタンドから観戦していたリーベルの面々は、広島の特徴を90分で把握したに違いない。
大きなサイドチェンジからの、ミキッチ、もしくは柏の果敢なオーバーラップ。そしてサイドをえぐってフリーとなった大外の味方に合わせるクロス。さらには最後尾から持ち上がる、千葉からのパス回し――。
こうした動きはしっかりと叩き込まれたことだろう。
アルゼンチンの選手たちは、敵の強みを徹底して潰し、弱点を容赦なく突いてくる。そうしたプレッシャーの中で、広島はいつものプレーができるだろうか。
私がそれは難しいと思うのは、前述したように日本の選手たちのプレーが素直だからだ。
ヨーロッパや南米でサッカーを見ていると、観客席や記者席で腰が浮く瞬間がしばしばある。予想とは違うところにパスが出されて、「あれ!?」となるからだ。観客が騙されるということは、平面で戦っている敵は、もっと騙されるということになる。
残念ながら、Jリーグはまだ観客をいい意味で騙すところまでレベルアップしていない。駆け引きに長けた南米選手たちに先を読まれて、出口を封じられてしまうかもしれないのだ。
水曜日の準決勝、広島はどこまで自分たちの良さを表現することができるだろうか。それはJリーグの質が問われる一戦でもある。
取材・文:熊崎 敬
彼らの試合運びには、ほとんど隙がなかった。
1、2点目はCKから、そしてダメ押しの3点目は敵の攻撃を巧みに切り返してのカウンターから。つまり、彼らはほとんどリスクを冒すことなく、3ゴールを奪ったのだ。
第三者から見れば、スリルに欠けた試合だったかもしれない。だがリスクを冒さずゴールを決められるなら、それに越したことはない。それは広島の手堅さが凝縮されたような試合だった。
もっとも、これがリーベルに通じるかとなると疑問が残る。
というのも、これは広島だけではないJリーグ全体の傾向だが、一人ひとりのプレーが素直すぎるからだ。
広島は日本でもっとも完成されたチームであり、10人のフィールドプレイヤーがプログラミングされたように整然と動く。これははまると気持ちいいが、研究されやすいということでもある。
この一戦をスタンドから観戦していたリーベルの面々は、広島の特徴を90分で把握したに違いない。
大きなサイドチェンジからの、ミキッチ、もしくは柏の果敢なオーバーラップ。そしてサイドをえぐってフリーとなった大外の味方に合わせるクロス。さらには最後尾から持ち上がる、千葉からのパス回し――。
こうした動きはしっかりと叩き込まれたことだろう。
アルゼンチンの選手たちは、敵の強みを徹底して潰し、弱点を容赦なく突いてくる。そうしたプレッシャーの中で、広島はいつものプレーができるだろうか。
私がそれは難しいと思うのは、前述したように日本の選手たちのプレーが素直だからだ。
ヨーロッパや南米でサッカーを見ていると、観客席や記者席で腰が浮く瞬間がしばしばある。予想とは違うところにパスが出されて、「あれ!?」となるからだ。観客が騙されるということは、平面で戦っている敵は、もっと騙されるということになる。
残念ながら、Jリーグはまだ観客をいい意味で騙すところまでレベルアップしていない。駆け引きに長けた南米選手たちに先を読まれて、出口を封じられてしまうかもしれないのだ。
水曜日の準決勝、広島はどこまで自分たちの良さを表現することができるだろうか。それはJリーグの質が問われる一戦でもある。
取材・文:熊崎 敬