すでに地元では有名なサッカー少年だった
[高校選手権準決勝] 岡山学芸館 3(4PK1)3 神村学園/1月7日(土)/国立競技場
夢にまで見た国立の舞台は、今までのサッカー人生で最も楽しかった。
勝利に結びつかなかったかもしれない。一番求めていた日本一は果たせなかったかもしれない。準決勝で敗れた悔しさはあるし、ロッカールームで号泣した姿からも、それはうかがえる。それでも、神村学園のMF大迫塁(3年/C大阪加入内定)にとって“最後の冬”は最高の時間だった。
「めっちゃ楽しかったっすよ」
ミックスゾーンに現われた大迫の表情は晴れやかだった。
1月7日に行なわれた高校サッカー選手権の準決勝。岡山学芸館に対し、大迫とFW福田師王(3年/ボルシアMG加入内定)を擁する神村学園は、先制点を早々に許しながら後半に逆転したが、2度のリードを守り切れずにPK戦で涙をのんだ。
相手の4人目のキッカーが決めた瞬間、大迫は天を仰いだ。いろんな感情が込み上げてくるなか、国立の空を見上げた大迫は何を思っていたのか。
仲間、スタッフ、お世話になった人への感謝。神村学園で過ごした日々。間もなく始まるプロサッカー選手としての未来。いろんな想いが脳裏をよぎったが、ただひとつ言えるのは、神村学園での6年間があったから今があるということだ。
夢にまで見た国立の舞台は、今までのサッカー人生で最も楽しかった。
勝利に結びつかなかったかもしれない。一番求めていた日本一は果たせなかったかもしれない。準決勝で敗れた悔しさはあるし、ロッカールームで号泣した姿からも、それはうかがえる。それでも、神村学園のMF大迫塁(3年/C大阪加入内定)にとって“最後の冬”は最高の時間だった。
「めっちゃ楽しかったっすよ」
ミックスゾーンに現われた大迫の表情は晴れやかだった。
1月7日に行なわれた高校サッカー選手権の準決勝。岡山学芸館に対し、大迫とFW福田師王(3年/ボルシアMG加入内定)を擁する神村学園は、先制点を早々に許しながら後半に逆転したが、2度のリードを守り切れずにPK戦で涙をのんだ。
相手の4人目のキッカーが決めた瞬間、大迫は天を仰いだ。いろんな感情が込み上げてくるなか、国立の空を見上げた大迫は何を思っていたのか。
仲間、スタッフ、お世話になった人への感謝。神村学園で過ごした日々。間もなく始まるプロサッカー選手としての未来。いろんな想いが脳裏をよぎったが、ただひとつ言えるのは、神村学園での6年間があったから今があるということだ。
中学で神村学園の門を叩いた大迫。すでに地元では有名なサッカー少年。チームでは常に飛び級でプレーし、2年生で6年生のチームに所属していた。6年生ではナショナルトレセンのメンバーにも選出されており、中学入学後も1年次から出場機会を掴んできた。
当時のプレースタイルは、左足のキックを武器に何でも1人でこなすタイプの選手。最終ラインからドリブルで仕掛け、ハーフウェーラインから個人技に長けていた福田にロングボールを送ってゴールを決めてもらう。
まるで漫画のようだが、そういうプレーに快感を覚えるような選手だった。だが、高等部に進学後は少しずつサッカーを学び、プレーヤーとして一つずつ階段を登っていく。
高校1年次からチームのエースナンバーである14番を背負い、先輩たちのバックアップを受けながら伸び伸びとプレー。上手いだけの選手から、戦える選手に変貌を遂げようとしたのもこの時期だ。
世代別代表で森山佳郎監督や有馬賢二監督に出会ったのも大きく、チームでは誰よりも自分が上手いというスタンスでいた一方で、代表では自分よりも上手な選手がゴロゴロいる。そうした環境に身を置くことで自分の現在地を知り、スマートなプレーに加えて泥臭く戦うことも厭わずにできるようになった。
だが、初めての選手権は大苦戦。チームはベスト16まで勝ち上がった一方で、トップ下で起用された自身はほとんど良さを発揮できなかった。
「負けたのはもちろん、持ち味を出せなかったし、独特の雰囲気や空気感が難しかった」とは大迫の言葉。憧れていた大舞台で挫折を味わい、「選手権が嫌いになった」というほど心が折られた。
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当時のプレースタイルは、左足のキックを武器に何でも1人でこなすタイプの選手。最終ラインからドリブルで仕掛け、ハーフウェーラインから個人技に長けていた福田にロングボールを送ってゴールを決めてもらう。
まるで漫画のようだが、そういうプレーに快感を覚えるような選手だった。だが、高等部に進学後は少しずつサッカーを学び、プレーヤーとして一つずつ階段を登っていく。
高校1年次からチームのエースナンバーである14番を背負い、先輩たちのバックアップを受けながら伸び伸びとプレー。上手いだけの選手から、戦える選手に変貌を遂げようとしたのもこの時期だ。
世代別代表で森山佳郎監督や有馬賢二監督に出会ったのも大きく、チームでは誰よりも自分が上手いというスタンスでいた一方で、代表では自分よりも上手な選手がゴロゴロいる。そうした環境に身を置くことで自分の現在地を知り、スマートなプレーに加えて泥臭く戦うことも厭わずにできるようになった。
だが、初めての選手権は大苦戦。チームはベスト16まで勝ち上がった一方で、トップ下で起用された自身はほとんど良さを発揮できなかった。
「負けたのはもちろん、持ち味を出せなかったし、独特の雰囲気や空気感が難しかった」とは大迫の言葉。憧れていた大舞台で挫折を味わい、「選手権が嫌いになった」というほど心が折られた。
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