「こういう失敗は人生において時にはあるので」
元日本代表で日韓ワールドカップ16強入りにも貢献した経歴を持つ戸田和幸氏が、浦和レッズのレジェンドである鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルに出演。3月5日に公開された最新コンテンツで、日韓W杯後のジーコ・ジャパンについて語った。
2003年にプレミアリーグのトッテナムに新天地を求め、念願の欧州移籍を果たした戸田氏。その年に代表招集の打診を受けたが、これを辞退したという。
「断ったというか、怪我をしていたんですよ」
トッテナムで2シーズン目のプレシーズンで、自身の調子はすこぶる良かった。だが、「開幕の2週間前に右のふくらはぎで、けっこう大きめの肉離れをしちゃって。そこからまだ回復の途中だった」。
万全の状態ではなく、プレーもできない。それで代表に行っていいのか。そうした考えもあり、断念した。
鈴木氏から「メディアの情報だと、(招集を)断って、ジーコとの確執がどうのこうの、みたいな話がありましたけど」と問われると、「確執は全然ないんですけど」と明らかにしたうえで、次のように話す。
「そもそもジーコさんが監督に就任した時に、自分みたいな選手はいらないって言ったはずです」
鈴木氏が「それはジーコが、ですか?」と確認。戸田氏は「はい」とうなずき、「でも分かる気がします」と理解を示す。
「ジーコさんが代表監督になってから選んだ中盤の選手は、基本的には技術的なレベルがすごく高い選手を好んだので。みんな好き嫌いはある。それは全然なんとも思っていなかった」
2003年にプレミアリーグのトッテナムに新天地を求め、念願の欧州移籍を果たした戸田氏。その年に代表招集の打診を受けたが、これを辞退したという。
「断ったというか、怪我をしていたんですよ」
トッテナムで2シーズン目のプレシーズンで、自身の調子はすこぶる良かった。だが、「開幕の2週間前に右のふくらはぎで、けっこう大きめの肉離れをしちゃって。そこからまだ回復の途中だった」。
万全の状態ではなく、プレーもできない。それで代表に行っていいのか。そうした考えもあり、断念した。
鈴木氏から「メディアの情報だと、(招集を)断って、ジーコとの確執がどうのこうの、みたいな話がありましたけど」と問われると、「確執は全然ないんですけど」と明らかにしたうえで、次のように話す。
「そもそもジーコさんが監督に就任した時に、自分みたいな選手はいらないって言ったはずです」
鈴木氏が「それはジーコが、ですか?」と確認。戸田氏は「はい」とうなずき、「でも分かる気がします」と理解を示す。
「ジーコさんが代表監督になってから選んだ中盤の選手は、基本的には技術的なレベルがすごく高い選手を好んだので。みんな好き嫌いはある。それは全然なんとも思っていなかった」
もっとも、自身に「(その時の代表に)行っておけばよかったじゃん」と言う人もいたという。顔を合わせて、しっかりコミュニケーションを取っていれば――。戸田氏は「ひょっとしたら、その後(招集が)あったかもしれない」と振り返る。
戸田氏の代表キャップは2002年で途切れている。「こういう失敗は人生において時にはあるので」と自嘲気味に言うと、鈴木氏も声を出して笑う。
その後も様々な経験を積みながら、戸田氏は2013年に現役を引退。現在は解説業や指導者など、幅広いフィールドで活躍中だ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【関連動画】ジーコと確執? 戸田和幸が鈴木啓太に明かした代表辞退の舞台裏
【PHOTO】日本代表の歴代ユニホームを厳選写真で振り返り!(1992-2022)
戸田氏の代表キャップは2002年で途切れている。「こういう失敗は人生において時にはあるので」と自嘲気味に言うと、鈴木氏も声を出して笑う。
その後も様々な経験を積みながら、戸田氏は2013年に現役を引退。現在は解説業や指導者など、幅広いフィールドで活躍中だ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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