順風満帆ではなかった初渡欧
世界トップレベルのプレーヤーには、修羅場をくぐり抜けてきた選手も少なくない。
元ポルトガル代表DFのペペもその一人だ。37歳となった今も名門ポルトの大黒柱として君臨し続ける快活なリーダーの人生は、決して初めから順風満帆だったわけではなかった。
ブラジルでサッカー少年として生まれ育ったペペは、18歳だった2001年にスカウトを受けてポルトガルのマリティモのBチームに入団する。だが、この時、クラブからのサポートもなかったという青年の所持金はなんと5ユーロ(約625円)だったという。地元紙『Expresso』のインタビューで赤裸々に語っている。
「18歳だった時に僕はひとりでブラジルから来たからお金は全くなかった。5ユーロぐらいだ。でも、最初に外務省に行かなくてはいけなかった。ポルトガルへの入国を許可するファックスをマリティモから受け取らなければいけなくてね。
持っていた所持金で母に電話して大丈夫だと伝えるためのテレホンカードを買わなければならなかった。それ以外の選択肢は食べ物を買うことだったけれど、『ダメだ、お母さんを心配させないために自宅に電話しよう』と思ったんだ」
元ポルトガル代表DFのペペもその一人だ。37歳となった今も名門ポルトの大黒柱として君臨し続ける快活なリーダーの人生は、決して初めから順風満帆だったわけではなかった。
ブラジルでサッカー少年として生まれ育ったペペは、18歳だった2001年にスカウトを受けてポルトガルのマリティモのBチームに入団する。だが、この時、クラブからのサポートもなかったという青年の所持金はなんと5ユーロ(約625円)だったという。地元紙『Expresso』のインタビューで赤裸々に語っている。
「18歳だった時に僕はひとりでブラジルから来たからお金は全くなかった。5ユーロぐらいだ。でも、最初に外務省に行かなくてはいけなかった。ポルトガルへの入国を許可するファックスをマリティモから受け取らなければいけなくてね。
持っていた所持金で母に電話して大丈夫だと伝えるためのテレホンカードを買わなければならなかった。それ以外の選択肢は食べ物を買うことだったけれど、『ダメだ、お母さんを心配させないために自宅に電話しよう』と思ったんだ」
右も左も分からずに“異国”の空港で、ほぼ無一文の状態で路頭に迷っていたペペ。そんな彼を救ったのは善意だった。続けざまに驚きのエピソードを告白している。
「どうしてもお腹が減ってしまったんだ。近くのチェーン店のカフェに入って、『ごめんなさい。何か食べるものはありますか?』って聞いたんだ。当然、店員は『ありますよ』と答えて、たくさんの食べ物とメニューを見せてくれた。
だから、その時に僕はハッキリと言った。『でも、僕はお金が全くないんです』とね。そんな僕を見た店員はその場を立ち去ったかと思うと、すぐにサンドイッチが乗ったトレイを持って戻ってきてくれて、『さぁ食べなさい』と言ってくれたのは忘れないよ。間違いなくあの行ないが僕と僕の人生を救ってくれた」
こうして異国の地でキャリアをスタートさせた若者は、この“第2の故郷”の代表戦士となり、一時代を築く。その選択には、“窮地”を救ってくれたカフェ店員のようなポルトガルの人々の優しさも、理由のひとつだったのかもしれない。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
「どうしてもお腹が減ってしまったんだ。近くのチェーン店のカフェに入って、『ごめんなさい。何か食べるものはありますか?』って聞いたんだ。当然、店員は『ありますよ』と答えて、たくさんの食べ物とメニューを見せてくれた。
だから、その時に僕はハッキリと言った。『でも、僕はお金が全くないんです』とね。そんな僕を見た店員はその場を立ち去ったかと思うと、すぐにサンドイッチが乗ったトレイを持って戻ってきてくれて、『さぁ食べなさい』と言ってくれたのは忘れないよ。間違いなくあの行ないが僕と僕の人生を救ってくれた」
こうして異国の地でキャリアをスタートさせた若者は、この“第2の故郷”の代表戦士となり、一時代を築く。その選択には、“窮地”を救ってくれたカフェ店員のようなポルトガルの人々の優しさも、理由のひとつだったのかもしれない。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部