本田は6月になれば晴れて自由の身となる。
とはいえ、夏の退団は何の問題もない。新たなオーナーとなる見込みの中国人たちも契約更新を考えていないようで、本田はフリーエージェントの立場でアメリカへと渡れる。
今の時点では、すぐにサプライズが起こる可能性は非常に低い。ただ、2月14日にオープンしたアメリカの移籍市場は5月8日まで開いている。だから論理的にはその日まで、いつでもシアトル移籍は成立しうる。その点には注意する必要があるだろう。
それにしても、今回の騒動はかなり我々を驚かせた。本田は1月にミランと話し合い、シーズン終了まで残ると決まったはずだったのだ。クラブは「姿勢を高く評価している。シーズン末まではチームに残ってほしい」と伝え、本田は「自分は約束を守り、契約がある限りは最後の最後までそれを守る」と約束したはずではなかったのか?
しかし、最近の本田は、自分の置かれている状況をこれまで以上に嘆いていて、周囲にも不満をこぼし始めているという。もちろん、パブリックな場所ではなく、プライベートな場でのみだが……。
最近の立場を考えれば、当然の不満だろう。実際、今回のシアトル行きの噂も、本田サイドの関係者から漏れてきたものだ。現在の本人の心境、そしてもしミランが許可するならばすぐにでも移籍できるということを、ミランに間接的に伝えたのだ。こうしたリークはサッカー界ではよくある揺さぶりのひとつである。ただ、ガッリアーニの断固とした声明が、その可能性をかき消してしまった。
仮にミランがここでストップをかけなかったら、本田はすぐにでもシアトルに飛び立ったのだろうか? それだけは本人のみぞ知るところだ。しかし、最近の様子から見る限り、アメリカ移籍に向けた話し合いが進められたのは間違いない。
6月30日になってミランとの契約が満了すれば、本田は晴れて自由の身となる。現時点では、アメリカ行きはそれ以降になる可能性が高い。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
今の時点では、すぐにサプライズが起こる可能性は非常に低い。ただ、2月14日にオープンしたアメリカの移籍市場は5月8日まで開いている。だから論理的にはその日まで、いつでもシアトル移籍は成立しうる。その点には注意する必要があるだろう。
それにしても、今回の騒動はかなり我々を驚かせた。本田は1月にミランと話し合い、シーズン終了まで残ると決まったはずだったのだ。クラブは「姿勢を高く評価している。シーズン末まではチームに残ってほしい」と伝え、本田は「自分は約束を守り、契約がある限りは最後の最後までそれを守る」と約束したはずではなかったのか?
しかし、最近の本田は、自分の置かれている状況をこれまで以上に嘆いていて、周囲にも不満をこぼし始めているという。もちろん、パブリックな場所ではなく、プライベートな場でのみだが……。
最近の立場を考えれば、当然の不満だろう。実際、今回のシアトル行きの噂も、本田サイドの関係者から漏れてきたものだ。現在の本人の心境、そしてもしミランが許可するならばすぐにでも移籍できるということを、ミランに間接的に伝えたのだ。こうしたリークはサッカー界ではよくある揺さぶりのひとつである。ただ、ガッリアーニの断固とした声明が、その可能性をかき消してしまった。
仮にミランがここでストップをかけなかったら、本田はすぐにでもシアトルに飛び立ったのだろうか? それだけは本人のみぞ知るところだ。しかし、最近の様子から見る限り、アメリカ移籍に向けた話し合いが進められたのは間違いない。
6月30日になってミランとの契約が満了すれば、本田は晴れて自由の身となる。現時点では、アメリカ行きはそれ以降になる可能性が高い。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。