“終末”の時が近いのかもしれない……。
さて、発言に対するミランの反応だが、10月の時よりはましなものの、それでも不快感を覚えていることは、チーム周辺から滲み出ている。ただ、今回も公には穏便に処理するつもりのようだ。
ミランのオフィシャルTV『ミラン・チャンネル』は、「本田の発言は、選手一人ひとりが今の状況をどうにかしようと考えているという証拠だ」などという無難な方向にまとめているし、またミハイロビッチもボローニャ戦の前日会見で冗談めかしたコメントを残した。
「本田はイタリアでは寡黙だが、日本ではどうも多弁になるようだ。こういう状況では誤訳も生まれやすい。この件についてもっと知りたいならば、彼に直接聞くといい。答を引き出すのに成功すればの話だが」
さらに、アドリアーノ・ガッリアーニ副会長は、この件をこう締めくくっている。
「ちょっとした日本語での発言が、英語の翻訳を経て、大げさなイタリア語に変わってしまっただけのことだ」
つまり、今回もウヤムヤのうちに本田の発言問題は収束するだろう。それよりも問題は、本田のパフォーマンスだ。ボローニャ戦は何事もなかったかのように先発出場を果たしたが、本田のプレーは無味乾燥、とくに目立った活躍もなく、ポジショニングにおいてはいくつものミスが散見された。数回ほど可能性を感じさせる突破もあったが、及第点には届かない出来だった。
65分にはついにアレッシオ・チェルチとの交代を告げられたが、この時にミラニスタが本田に浴びせられたブーイングは、この日もっとも激しいレベルだった。
10月の爆弾発言の時には本田の勇気を評価したサポーターも、いつまでたっても口ばかりで内容の伴わない彼に落胆したようである。それに対し本田は、当てこすりのような拍手を何度もスタンドに向けて送り、最後には皮肉とも取れるお辞儀をしてピッチを去った。
こうしてミランと本田の溝は、ますます深まってきている。“終末”の時は近いかもしれない……。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
ミランのオフィシャルTV『ミラン・チャンネル』は、「本田の発言は、選手一人ひとりが今の状況をどうにかしようと考えているという証拠だ」などという無難な方向にまとめているし、またミハイロビッチもボローニャ戦の前日会見で冗談めかしたコメントを残した。
「本田はイタリアでは寡黙だが、日本ではどうも多弁になるようだ。こういう状況では誤訳も生まれやすい。この件についてもっと知りたいならば、彼に直接聞くといい。答を引き出すのに成功すればの話だが」
さらに、アドリアーノ・ガッリアーニ副会長は、この件をこう締めくくっている。
「ちょっとした日本語での発言が、英語の翻訳を経て、大げさなイタリア語に変わってしまっただけのことだ」
つまり、今回もウヤムヤのうちに本田の発言問題は収束するだろう。それよりも問題は、本田のパフォーマンスだ。ボローニャ戦は何事もなかったかのように先発出場を果たしたが、本田のプレーは無味乾燥、とくに目立った活躍もなく、ポジショニングにおいてはいくつものミスが散見された。数回ほど可能性を感じさせる突破もあったが、及第点には届かない出来だった。
65分にはついにアレッシオ・チェルチとの交代を告げられたが、この時にミラニスタが本田に浴びせられたブーイングは、この日もっとも激しいレベルだった。
10月の爆弾発言の時には本田の勇気を評価したサポーターも、いつまでたっても口ばかりで内容の伴わない彼に落胆したようである。それに対し本田は、当てこすりのような拍手を何度もスタンドに向けて送り、最後には皮肉とも取れるお辞儀をしてピッチを去った。
こうしてミランと本田の溝は、ますます深まってきている。“終末”の時は近いかもしれない……。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。