人と人の間にできる(ま)にこそ、引き付けられる「なにか」がある。
そこで一言
「人の間(あいだ)と書いて人間」
人を「人」のほかに、「人間」と呼ぶのは日本人だけらしい。これは、フランスから来た大学教授が日本を勉強するなかで発見し、大いに興味を抱いたという話を聞いたことがある。
まさしく、人はひとりでは生きていけない。人と人の間にあるものから、人はたくさんのことを学び、感じながら生きていく。だから「人間」なのだ。この「間」に生まれるものが、思いやりや親切心であったり、信頼関係といった人と人との関係であったりする。
人と話した時に、この間(ま)こそが人を引き付けるなにか、なのだと思う。僕がいま、チェンマイで感じているのはまさに、その人と人の間にできる(ま)だろう。チェンマイの人々は決して名前だけでなく、目の前に起きていることをしっかり見て、聞いて、感じて言葉を使う。
もちろん、逆の場合もある。社会を生きていくには打算や疑いの目だったり、違和感であったり、裏切り、憎しみといった、そんなネガティブな空気感もまた「人間」について回るものだろう。
この年になって共感し合えたり、価値観が近かったり、話が合う関係になれたりすることは本当にラッキーだと思わなければいけない。このチェンマイで、もっとたくさんの人たちとサッカーを通して知り合っていきたい。
チェンマイは人の本質である「人間」の素晴らしさに溢れた場所だと僕は感じている。オフの間、少しタイ、チェンマイを離れてみて、また新しいなにかを感じられればと思っている。
2015年5月11日
三浦泰年
「人の間(あいだ)と書いて人間」
人を「人」のほかに、「人間」と呼ぶのは日本人だけらしい。これは、フランスから来た大学教授が日本を勉強するなかで発見し、大いに興味を抱いたという話を聞いたことがある。
まさしく、人はひとりでは生きていけない。人と人の間にあるものから、人はたくさんのことを学び、感じながら生きていく。だから「人間」なのだ。この「間」に生まれるものが、思いやりや親切心であったり、信頼関係といった人と人との関係であったりする。
人と話した時に、この間(ま)こそが人を引き付けるなにか、なのだと思う。僕がいま、チェンマイで感じているのはまさに、その人と人の間にできる(ま)だろう。チェンマイの人々は決して名前だけでなく、目の前に起きていることをしっかり見て、聞いて、感じて言葉を使う。
もちろん、逆の場合もある。社会を生きていくには打算や疑いの目だったり、違和感であったり、裏切り、憎しみといった、そんなネガティブな空気感もまた「人間」について回るものだろう。
この年になって共感し合えたり、価値観が近かったり、話が合う関係になれたりすることは本当にラッキーだと思わなければいけない。このチェンマイで、もっとたくさんの人たちとサッカーを通して知り合っていきたい。
チェンマイは人の本質である「人間」の素晴らしさに溢れた場所だと僕は感じている。オフの間、少しタイ、チェンマイを離れてみて、また新しいなにかを感じられればと思っている。
2015年5月11日
三浦泰年