内田選手が引退会見で言った。「世界との差は開いた」と。
育成の指導は今後のサッカー界にとって非常に大事になるであろう。
生まれた時からプロがある時代。プロの存在が普通のように聞こえるが、昔はなかった。生まれた瞬間からボールを蹴らせたい親も増えた。子どもに夢を託すようになった。
サッカーの普及は急ピッチで進み、2002年日韓共催のワールドカップが大きな影響を与えた。
幼稚園児からサッカースクールに入れて、小学校では何処でやらそうか悩む。子どもの夢だけではなく親の夢にもなっているのがプロサッカー選手だ。
僕の時代は学校の成績が悪いと叔父さんでもある監督に「お前らはプロにでもなるつもりか!」と怒られた。今は目指す場所Jリーグというプロリーグがある。
しかしサッカークラブは塾とは違う。
塾は隣の人の答案用紙から答えを盗んではいけないが、サッカーは隣の選手から学び、盗んでも良いし、助けることもできる。
仲間と共に闘うことだ。仲間を助けて、思いやって、目標の勝利に向かって一所懸命ひとつになることだ。
そんなスポーツを塾のように新しいチームを探すようになっている育成の未来は大丈夫なのか?
日本のサッカー界だけではない。国全体がひ弱になり、厳しさを否定する形になっている。
これからは、いかにして強い大人に厳しく育てていけるか、だと僕は思う。苦労をさせてはいけないルールになっていく子供たちにどのようにして苦労をさせ、苦労を知ってもらい、厳しい世の中に負けない大人に育てるか?
苦労とは家庭環境や経済的な苦労のことではない。ハングリーでも心のハングリー、ハングリー精神のことだ。
8月いっぱいでスパイクを脱いだ内田選手が引退会見で言った。「世界との差は開いた」と。そして、同じスポーツではないと……。
誰もがここ何年かで世界に近づいたと思っていたサッカー界が、だ……。
僕もブラジル・サンパウロで生活し、日本へ戻り、何か違和感があった。サッカーを観戦しても、どこかしっくりこない感覚があったからだ。
試合の戦術、技術のレベルはブラジルにも近づいていると感じたのに、試合を見た時の興奮度やドキドキ感の違いを毎回、感じていた。
生まれた時からプロがある時代。プロの存在が普通のように聞こえるが、昔はなかった。生まれた瞬間からボールを蹴らせたい親も増えた。子どもに夢を託すようになった。
サッカーの普及は急ピッチで進み、2002年日韓共催のワールドカップが大きな影響を与えた。
幼稚園児からサッカースクールに入れて、小学校では何処でやらそうか悩む。子どもの夢だけではなく親の夢にもなっているのがプロサッカー選手だ。
僕の時代は学校の成績が悪いと叔父さんでもある監督に「お前らはプロにでもなるつもりか!」と怒られた。今は目指す場所Jリーグというプロリーグがある。
しかしサッカークラブは塾とは違う。
塾は隣の人の答案用紙から答えを盗んではいけないが、サッカーは隣の選手から学び、盗んでも良いし、助けることもできる。
仲間と共に闘うことだ。仲間を助けて、思いやって、目標の勝利に向かって一所懸命ひとつになることだ。
そんなスポーツを塾のように新しいチームを探すようになっている育成の未来は大丈夫なのか?
日本のサッカー界だけではない。国全体がひ弱になり、厳しさを否定する形になっている。
これからは、いかにして強い大人に厳しく育てていけるか、だと僕は思う。苦労をさせてはいけないルールになっていく子供たちにどのようにして苦労をさせ、苦労を知ってもらい、厳しい世の中に負けない大人に育てるか?
苦労とは家庭環境や経済的な苦労のことではない。ハングリーでも心のハングリー、ハングリー精神のことだ。
8月いっぱいでスパイクを脱いだ内田選手が引退会見で言った。「世界との差は開いた」と。そして、同じスポーツではないと……。
誰もがここ何年かで世界に近づいたと思っていたサッカー界が、だ……。
僕もブラジル・サンパウロで生活し、日本へ戻り、何か違和感があった。サッカーを観戦しても、どこかしっくりこない感覚があったからだ。
試合の戦術、技術のレベルはブラジルにも近づいていると感じたのに、試合を見た時の興奮度やドキドキ感の違いを毎回、感じていた。
これは我々にとって危機的状態なのかもしれない。
だから世界で通用する選手をもっと教育して、日本で育てなければいけない。17歳までは、日本で独自のサッカー教育をやらなければいけない。
言うべき細かいことはたくさんあるが、間違いなくこのままではいつかはワールドカップへ行けなくなる日が来てしまう。
そう思わなければ、上手くいっているように思えるだけに、この危機的状態は変えられない。
自分のやれることは何か? 整理して前進しなければ。
2020年9月30日
三浦泰年