熊本を朝5時に出て鹿児島に向かったワケは?
熊本では元大津高サッカー部監督で、現在は熊本県宇城市の教育長を務める平岡和徳先生に会いに行った。電車で肥後大津駅に到着。サッカー部の監督が熊本の学校のために両立を図っている。彼とサッカーの話を語り尽くし、美味しいお酒と馬刺し、郷土料理を堪能した。これも凄いことだ! 何年ぶりになるのであろう……。
平岡とは同い年で、彼は当時の名門「帝京高校」のキャプテン。僕は今年、全国制覇をした静岡学園のキャプテンだった。ちなみに清水東のキャプテンは長谷川健太(FC東京監督)だった。
平岡と僕は背格好もプレースタイルも似ていて当時はテクニシャン。仲が良かった僕らは中学生の頃、熊本と静岡で文通していた。平岡は達筆で大人のようなしっかりした字で、よく手紙をくれた。
昭和40年、1965年生まれの僕らはサッカーの話、指導の話、育成、教育、躾、文化、将来の日本のサッカー、そして大津の未来を見据えた良い話を、時間の許す限り、延々と喋り続けた。内容は企業秘密だ。
そして翌朝、僕は肥後大津から在来線に朝5時の始発に乗って鹿児島へ向かった(笑)。鹿児島は昇格を果たしてから1年ぶりに訪れた。鹿児島を離れて初めての訪問だった。
朝早く出たのには理由があった。監督当時、ジプシーで練習場を転々としているなか、クラブハウスがないため、練習メニューを考える場所にファミレスを使っていた。
そこに毎朝来る、ひとりの恩人に会いたかったからだ。その人は朝の7時半ごろに毎朝来て、ノートに仕事のメモをしてコーヒーを飲んで仕事へ向かう社長さん。
少し経つとお互い自然と話をする様になった。僕はその人に会いたくて朝、熊本を考えられない時間に出発したのだ。
実際に会うことができて本当に嬉しかった。きっと、いるだろうと思って鹿児島中央駅から向かってみたが、変わらない顔が見れて、短い時間であったが心温まる良い話が出来た。
その後、空いた時間を使って温泉と当時、選手にも紹介した治療院に顔を出して身体のバランスを整えてもらい、夜は「吾愛人」の豚しゃぶ郷土料理で鹿児島時代にお世話になった人と会食を楽しんだ。
あっという間に時間は過ぎてしまった。
神戸も熊本も鹿児島も、思い入れの深い場所にブラジル帰りの僕は、引き寄せられるように向かっていた。
人生のタイミングなのであろう。
ブラジルへ戻るエアーチケットがニューヨーク経由であることから、この新型コロナウイルスの影響で、いつ戻れるかが分からなくなってしまっているが、この危機的な状況を皆で克服して(乗り越えて)、世の中はもっと良くなっていくはずと信じて、今こそ行動を起こしていきたい。
そして、いろんな人と話していろんな事を感じることが大事だと思う。僕自身が自身を信じられるように一日一日を大切に人と人の間にできる人間の熱を感じて生きていきたい。
今回は東京から西方面に向かった話をコラムにしてみました。もっと会いたい人はたくさんいるのだけれど……。コラムを使って「ありがとうございます」と感謝の言葉を伝えたい。
また会う日まで……。
2020年3月12日
三浦泰年
平岡とは同い年で、彼は当時の名門「帝京高校」のキャプテン。僕は今年、全国制覇をした静岡学園のキャプテンだった。ちなみに清水東のキャプテンは長谷川健太(FC東京監督)だった。
平岡と僕は背格好もプレースタイルも似ていて当時はテクニシャン。仲が良かった僕らは中学生の頃、熊本と静岡で文通していた。平岡は達筆で大人のようなしっかりした字で、よく手紙をくれた。
昭和40年、1965年生まれの僕らはサッカーの話、指導の話、育成、教育、躾、文化、将来の日本のサッカー、そして大津の未来を見据えた良い話を、時間の許す限り、延々と喋り続けた。内容は企業秘密だ。
そして翌朝、僕は肥後大津から在来線に朝5時の始発に乗って鹿児島へ向かった(笑)。鹿児島は昇格を果たしてから1年ぶりに訪れた。鹿児島を離れて初めての訪問だった。
朝早く出たのには理由があった。監督当時、ジプシーで練習場を転々としているなか、クラブハウスがないため、練習メニューを考える場所にファミレスを使っていた。
そこに毎朝来る、ひとりの恩人に会いたかったからだ。その人は朝の7時半ごろに毎朝来て、ノートに仕事のメモをしてコーヒーを飲んで仕事へ向かう社長さん。
少し経つとお互い自然と話をする様になった。僕はその人に会いたくて朝、熊本を考えられない時間に出発したのだ。
実際に会うことができて本当に嬉しかった。きっと、いるだろうと思って鹿児島中央駅から向かってみたが、変わらない顔が見れて、短い時間であったが心温まる良い話が出来た。
その後、空いた時間を使って温泉と当時、選手にも紹介した治療院に顔を出して身体のバランスを整えてもらい、夜は「吾愛人」の豚しゃぶ郷土料理で鹿児島時代にお世話になった人と会食を楽しんだ。
あっという間に時間は過ぎてしまった。
神戸も熊本も鹿児島も、思い入れの深い場所にブラジル帰りの僕は、引き寄せられるように向かっていた。
人生のタイミングなのであろう。
ブラジルへ戻るエアーチケットがニューヨーク経由であることから、この新型コロナウイルスの影響で、いつ戻れるかが分からなくなってしまっているが、この危機的な状況を皆で克服して(乗り越えて)、世の中はもっと良くなっていくはずと信じて、今こそ行動を起こしていきたい。
そして、いろんな人と話していろんな事を感じることが大事だと思う。僕自身が自身を信じられるように一日一日を大切に人と人の間にできる人間の熱を感じて生きていきたい。
今回は東京から西方面に向かった話をコラムにしてみました。もっと会いたい人はたくさんいるのだけれど……。コラムを使って「ありがとうございます」と感謝の言葉を伝えたい。
また会う日まで……。
2020年3月12日
三浦泰年