西野監督の輝かしいキャリアもJリーグカップ優勝から始まった
振り返ればJリーグカップは、選手のみならず監督にとっても登竜門となった。1999年決勝は西野朗監督率いる柏が、ジーコ総監督が指揮する鹿島と対戦。大野敏隆が先制すると、鹿島は阿部敏之が起点となるパスと直接FKで2ゴールを演出し、勝利を手繰り寄せたかに見えた。ところが鹿島は残り3分でビスマルクが遅延行為による2枚目の警告を受けて退場。柏が猛攻に出て、アディショナルタイムでのラストチャンスにDFながら前線に残っていた渡辺毅が同点ゴールを突き刺す。PK戦を制した柏が初戴冠を果たし、西野監督の輝かしいキャリアはここから始まった。
また2004年には、原博美監督が古巣浦和との決戦で、途中から10人で戦うハンディを乗り越えFC東京に初タイトルをもたらし、翌2005年は日本サッカーに多大な影響を及ぼしたイビチャ・オシム率いる千葉が、指揮官が目を背けるPK戦の末にG大阪を下し、これが名将の日本で勝ち取った唯一のタイトルとなった。さらに2008年はシャムスカ監督が大分を初優勝に導き、2016年には浦和を指揮していたミハイロ・ペトロヴィッチ監督が日本滞在11年目で、ようやく初めてのタイトルに辿り着いた。そしてここまで3つのクラブを指揮してきた城福浩監督も、2009年のFC東京時代に、自ら発掘し抜擢した米本拓司(当時19歳)のミドルシュートなどで初めてカップを掲げた。
また2004年には、原博美監督が古巣浦和との決戦で、途中から10人で戦うハンディを乗り越えFC東京に初タイトルをもたらし、翌2005年は日本サッカーに多大な影響を及ぼしたイビチャ・オシム率いる千葉が、指揮官が目を背けるPK戦の末にG大阪を下し、これが名将の日本で勝ち取った唯一のタイトルとなった。さらに2008年はシャムスカ監督が大分を初優勝に導き、2016年には浦和を指揮していたミハイロ・ペトロヴィッチ監督が日本滞在11年目で、ようやく初めてのタイトルに辿り着いた。そしてここまで3つのクラブを指揮してきた城福浩監督も、2009年のFC東京時代に、自ら発掘し抜擢した米本拓司(当時19歳)のミドルシュートなどで初めてカップを掲げた。
さてJリーグカップも鹿島が突出した成績を残しており、9度の決勝進出で6度の優勝を果たしている。ただしここ2年間はC大阪、湘南と立て続けにフレッシュな王者が誕生。今年も勝者の初優勝が確定しているわけだが、両チームの置かれた状況は対照的だ。リーグ連覇中の川崎は、現在天皇杯も合わせてカップ・ファイナルで5連敗中。再三好チームを作りながら、ワールドカップでは準優勝3度、ベスト4が5度というオランダの悲運に、どことなく似ている。逆に初めてカップに肉薄した札幌は、無心で勢いのままに向かっていく。川崎が悲運を断ち切り名門クラブへの足固めをするのか、札幌が瑞々しい戴冠で上位グループ入りへ弾みをつけるのか。
今年もJリーグカップらしい鮮度の高いファイナルが用意された。
文●加部 究(スポーツライター)