多額の借金を肩代わりしたとはいえ父には…。
以降のキャリアは周知の通り。ドルトムント、ヴォルフスブルク、そしてインテルとステップアップしていき、ロシアW杯では3ゴールを挙げて決勝進出に大貢献した。
こうしてスターの仲間入りを果たしたペリシッチだが、選手としてひとつだけやり残したことがある。W杯後のインタビューで「ハイドゥクでプレーすることは夢だった」と胸中を吐露し、こう続けた。
こうしてスターの仲間入りを果たしたペリシッチだが、選手としてひとつだけやり残したことがある。W杯後のインタビューで「ハイドゥクでプレーすることは夢だった」と胸中を吐露し、こう続けた。
「残念ながら僕は早くに国外に出る必要に迫られ、トップチームではあの白いユニホームに袖を通せなかったんだ。1シーズンでもいいからハイドゥクでプレーしたい。いつか実現させるつもりだよ」
多額の借金を肩代わりする破目になったとはいえ、プロフットボーラーになるため心血を注いでくれた父親への感謝も決して忘れていない。その証拠に、ペリシッチの右脚には「ボールを蹴る鶏」のタトゥーが刻まれている。
文:長束恭行
※『ワールドサッカーダイジェスト』10月4日号の連載「クロアチアW杯優勝メンバーの分岐点」より転載。同10月18日発売号では、アンテ・レビッチとマテオ・コバチッチのストーリーを掲載中。
多額の借金を肩代わりする破目になったとはいえ、プロフットボーラーになるため心血を注いでくれた父親への感謝も決して忘れていない。その証拠に、ペリシッチの右脚には「ボールを蹴る鶏」のタトゥーが刻まれている。
文:長束恭行
※『ワールドサッカーダイジェスト』10月4日号の連載「クロアチアW杯優勝メンバーの分岐点」より転載。同10月18日発売号では、アンテ・レビッチとマテオ・コバチッチのストーリーを掲載中。