憧れのチームでのトップ昇格が見えた矢先に…。
右利きなのか、左利きなのか――。どちらの足でも正確かつ強烈なシュートを放つイバン・ペリシッチのプレーを見ると、そんな疑問が浮かんでくる。本人はこう語る。
「元々は左利きなんだけど、ずっと両足をトレーニングしてきたからね、右足も苦手意識がなくなったよ。左足よりも調子が良い時があって、『今度は右足だけでシュートを撃とうかな』なんて冗談を言うほどね」
ペリシッチがそんな〝練習の虫〞になったのは、スプリト郊外のオミシュで養鶏業を営んでいた父アンテのお陰だ。11歳で名門ハイドゥク・スプリトに入団した息子に、パーソナルトレーナーとコンディショニングトレーナーを雇って英才教育を施した。
そして、17歳だった2006年にトップチームの夏合宿に参加。しかし、プロ契約を結ぶ直前になってフランスのソショーへと移籍する。父のビジネスが傾き、契約金を借金返済に充てるためだった。
「難しい判断だったが、イバンの移籍は家族にとって最良の選択だった。妻と妹も一緒にフランスに連れていくことで、私がもたらした苦しみから家族全員を救ったんだ」
父アンテはそう振り返る。
「元々は左利きなんだけど、ずっと両足をトレーニングしてきたからね、右足も苦手意識がなくなったよ。左足よりも調子が良い時があって、『今度は右足だけでシュートを撃とうかな』なんて冗談を言うほどね」
ペリシッチがそんな〝練習の虫〞になったのは、スプリト郊外のオミシュで養鶏業を営んでいた父アンテのお陰だ。11歳で名門ハイドゥク・スプリトに入団した息子に、パーソナルトレーナーとコンディショニングトレーナーを雇って英才教育を施した。
そして、17歳だった2006年にトップチームの夏合宿に参加。しかし、プロ契約を結ぶ直前になってフランスのソショーへと移籍する。父のビジネスが傾き、契約金を借金返済に充てるためだった。
「難しい判断だったが、イバンの移籍は家族にとって最良の選択だった。妻と妹も一緒にフランスに連れていくことで、私がもたらした苦しみから家族全員を救ったんだ」
父アンテはそう振り返る。
西欧のクラブに青田買いされたクロアチア人選手の多くは、適応に手間取るうちに出場機会と自信を失い、表舞台から消えていくケースが少なくない。ペリシッチも決して順風満帆ではなかった。
ハイドゥクが契約違反を訴え出たためソショーで公式戦出場が叶わず、ようやくピッチに立てるようになった07年には獲得を望んでくれたアラン・ペラン監督が退団。約2年間に渡りBチームで燻り続けた。
ただ、09年1月にベルギーのルーセラーレにレンタル移籍し、最下位だったクラブを残留に導く活躍を披露。同年夏にはハイドゥク復帰の話が持ち上がり、本人も喜んだという。
しかし、ペリシッチはここで大きな決断を下す。さらに膨れ上がっていた父の借金を返済するため、より条件の良い西欧(ベルギーのクラブ・ブルージュ)に残ることを選んだのだ。
ハイドゥクが契約違反を訴え出たためソショーで公式戦出場が叶わず、ようやくピッチに立てるようになった07年には獲得を望んでくれたアラン・ペラン監督が退団。約2年間に渡りBチームで燻り続けた。
ただ、09年1月にベルギーのルーセラーレにレンタル移籍し、最下位だったクラブを残留に導く活躍を披露。同年夏にはハイドゥク復帰の話が持ち上がり、本人も喜んだという。
しかし、ペリシッチはここで大きな決断を下す。さらに膨れ上がっていた父の借金を返済するため、より条件の良い西欧(ベルギーのクラブ・ブルージュ)に残ることを選んだのだ。